KA.Blog

株式市場で気になる銘柄をピックアップして分析、検証していきます。主に中期~長期の投資で成果を上げ、値動きを追っていく予定です。株の他にも日常の話題やコーナーで綴っていき、むさくるしくない(?)ブログにしていきたいと思っています。

柄にもなく

本日はベルギー王立美術館展を鑑賞しに上野に行ってまいりました。本日が最後だということで、最後の最後、17時半に閉館というところに16時半に行ってきました。

本当はあんまり絵画には興味がないし、理解もできないからと思って行かないでおこうと思ったのですが、丁度タダ券をいただいたので行ってみる事に。タダの力は強い(;^_^A

でも行ってみたら思ったより良かったですね。私は抽象的な絵画はさっぱり理解できないんですが、展覧してあった絵画は抽象的でありながらも写実的であるという、何だか上手く説明できないのですが、私向きの絵画展でした(;^_^A

15世紀位から20世紀までの画家が集まっていましたが、昔のものほどやはり重みがあるというか何というか。よく昔の人でここまで緻密な絵を描けるもんやなーと感心しきり。500年後の今を生きる私にもこんな絵描けましぇん←当たり前だ!

1500年代の絵に時計台のある立派なお屋敷の絵があって「日本が戦国時代の最中にこんなに文化が発展していたのかー。そらー鉄砲発明して持ってくるでー(実際持ってきたのはポルトガル人)」と思いました。そして展覧会の解説を見ると「ヨーロッパの戦乱時期には素晴らしい絵画が生まれにくい環境になり・・・」とあって、戦争が人間の文化発展を妨げる事も身に染みました。今の平和な日本は漫画やアニメに象徴される文化発展の途上にあるのでしょう。後世に一体どんな日本文化が残るのでしょうか?

絵には作者の意図が見え隠れし、解説を読んで初めて「そういう事か!」とわかる発見も面白かったですね。そして絵画を描くのも小説を書くというのも一つの物語を作り出すという点で共通しているなーと思いました。

そんな事を考えながらじっくり見ていると閉館時間になり、最後はつまみ出されました。ベルギーワッフルくらい出しやがれ!と叫びながら上野を後にしました←注:筆者には被害妄想癖があります。

さて、気を取り直して今日は日曜なので小説の日です。前回までの分は毎週日曜のブログを参照してください。前回までの分が読み辛い場合や余りにも長過ぎて過去の話を忘れてしまった場合は下記のまぐまぐバックナンバーの方でも本文のみ公開していますのでご確認ください。

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※この作品はフィクションであり、実在する、人物・施設・団体とは一切関係ありません。


                           正義のみかた

第二十一章 様々な色が混じり合って出来た黒

私は気を落ち着かせるようにイスに座り直した。落ち着け。自分の気持ちが乱れている状態でどんな話ができるというのか。しかし敦君はすっかり頭を落としてこちらを見ようとはしなかった。

またやってしまった。以前も同じような失敗をしているのに。自分は何故こんなにも学習能力がないのかと思うと情けなくもあった。

「すまない」
「・・・謝る事はないよ」
我々にはそれ以上言葉を交わす事はできなかった。気まずい空気が二人の間に滞留していた。咳払いをしてみても払拭できるような空気ではなかった。数分の沈黙が続いた。

実は今回ビデオを見せたのにはもう一つの意味合いがあった。本当の事を言えばこちらの方がより重要だった。面会時間も限られていたため、まだ気持ちは収まりきっていなかったが、何とか話の流れを戻そうと試みた。時間が経てば経つほど話し辛くなる。心持ち大きく息を吸い込んで切り出す。
「今回のビデオを見せた理由はもう一つ、同時にもう一つわかって欲しかったことがある。」
「もう一つ?」
「そう、君だって同じように生まれてきたって事を。静香さんの身体から。静香さんだってこんなに辛い思いをして産んだ子だよ。どうして君を憎んでると思う?」
「・・・」
敦君は終始俯いたままだった。奥歯で何か硬い物を噛んでいるかのように頬の筋肉を硬直させ、様々に思いを巡らせているようだった。

とかく昨今の子供達は命を軽視し過ぎる傾向にあると言われる。その意見は私は賛成でもあるし反対でもある。昨今の子供達と限定するよりは昨今の風潮が命を軽視しているのではないだろうか。殺人や自殺といった行為はどれだけ教育や文化が発達してもなくならない。いやむしろ発達すればする程増えているのかも知れない。

別に私は敦君を今から教育しようとしているわけではない。ただ私は敦君の中に命を尊ぶ心があるのか、もしくはその心が育つ土壌は残っているのかを確認したかったのだ。それは何の証拠にもならないし、裁判にも影響を与えないかも知れない。しかし私にとっては重要な要素だったのだ。

「もういい加減話してくれてもいいんじゃないか?鑑別所から逃げ出した理由を」
「・・・」
数瞬の沈黙の後、敦君は言葉を選ぶように語り出した。

「あぁ、あんたが思っているようにババァに一目会いたくてさ」
「会ってどうするつもりだったんだ?」
「あの時、俺が人を殺してしまった時に湧き上がって来た感情はどこから来たのか。ババァ本人に会ったらやっぱり今でも殺してやろうと思うのかって事を確かめたかったんだ」
「確かめてどうする?」
「どうするって・・・どうせ俺はこの後少年刑務所に行くのは間違いねぇだろ?自分でもわかんねぇんだ。何故あんな事をしてしまったのか、本当にババァが殺したい程憎いかどうか。はっきりしないと務所暮らしの間すっきりしねぇんだ。会ってみて自分の感情を確かめたかったんだ。多分あいつは面会にも来ねぇだろうし」
「そこでもし殺意が未だにあったら?」
「檻の中でもずっと復讐を考えているんだろうなぁ」
「結果として会う事はできなかったわけだが・・・」
「いや、会ったぜ」
「会った?どこで?」
意外な答えが返ってきた。

「俺がデパートで取り押さえられている時、野次馬に混じってあいつがいた」
「そうか・・・」
数年ぶりのご対面は随分と落ち着かない、殺伐とした雰囲気の中で行われていたようだ。
「痩せてた。やつれてたって言うか・・・本当にババァになりやがったんだなって思った」
苦笑じみた笑いを見せる。

「どんな顔してた?」
「泣いてた。横向いて」
「どんな意味だと思う?」
「・・・」
最後だけは答えなかった。しかし私はわかっている。彼はきちんと正しい答えを胸に持ち合わせているだろうという事を。

彼女は目の前で息子が取り押さえられているのを見て、庇ってやる事も守ってやる事もできないのだ。見ているだけ。失われた10年の歳月。そんな自分に対する惨めさ、不甲斐なさ、やるせなさ。そういったものから現実を直視できなかったのだ。

時間が過ぎて面会時間が終わった。
「時間が来たようだ。じゃあ次は法廷で会おう。それまでは私は最善を尽くす」
右手を差し出し、最後に握手をして別れた。

結局最後の面会時間はほとんどメンタル面での会話に費やされた。これが判決に吉と出るか凶と出るかはわからないが、この時点でやるべき事は終わっているし、今回の案件も最後の山場を残すのみ。

廊下を歩きながら考えた。私は本気で弁護しようとしているのだろうか?まだすっきりしていない自分がいた。割り切れない自分がいた。その証拠にさっきはあんなに動揺してしまった。裁判はもうすぐだというのにまだダメか?

今更何を?まだそんな事を言っているのか?プロとしてやり抜くと決めたじゃないか?さっき敦君にも最善を尽くすと言ったじゃないか?あれは嘘か?今まで何のために動いてきたんだ?お前の優柔不断さには呆れる・・・一人の本音を語る私に九人の理性を持った私が取り囲んだ。九人の私は完全に正論だった。一人の私はそれらに対して有効的な反論は一切持ち合わせていなかった。

ここにも自分の気持ちを掴みきれない、確かめてみたい人間が一人いるのであった。