KA.Blog

株式市場で気になる銘柄をピックアップして分析、検証していきます。主に中期~長期の投資で成果を上げ、値動きを追っていく予定です。株の他にも日常の話題やコーナーで綴っていき、むさくるしくない(?)ブログにしていきたいと思っています。

ライバルララバイ

皆さんには友人で且つライバルという人は身近におられますか?私には該当する人物がおりまして、かつての仕事場での同僚です。私は結構自信過剰で負けず嫌いなので、最初はぶっちゃけ嫌いでした。しかしその後彼という人物を知るようになって仲良くなり、同時に彼に対してはどう考えても勝てる気がしなくなりました。そいつなら総理大臣・・・は無理でも大臣にだってなれるんじゃないかと個人的には評価しています。

頭が良いし何でも知っている。運動もそこそこ。とにかく彼に何をやらせても卒なくこなすんですね。苦手とか失敗とかいった言葉は彼の辞書には見当たらないようです。要領が抜群に良い。仲良く付き合ってはいるのですが、そういうのを見せつけられると一方で劣等感を感じてしまいます。

才能もさることながら努力家でもあります。私の前職は当初寮に入らないといけなくて、彼とは同部屋だったのがお互いを知るきっかけでした。彼は深夜遅くになると勉強のために部屋を抜け出し、明かりのある所で勉強を続けていました。毎日の睡眠時間は平均4時間程度。一度彼が戻ってくるまで起きていようと思っていましたが、私は力尽きて先に寝てしまいました。なので彼より遅く寝た事はないんですね。彼の寝顔を見た事はありませんでした。

実は私が前職を辞めたきっかけの一つは彼の存在があまりにも大き過ぎたからです。しかし他の人に人物評を聞くと案外「そこまですごいか?」と疑問視される事もありますが、少なくとも私は彼にどーやっても勝てない相手だと思っています。

面白い事に彼を追い抜こうという気持ちは起きません。圧倒的な戦力差の前に白旗を揚げている状態です。でもそのお陰で今も仲良く付き合っています。尊敬できる一生の友人ですね。

さて、今日は日曜なので小説の日です。前回までの分は毎週日曜のブログを参照してください。前回までの分が読み辛い場合や余りにも長過ぎて過去の話を忘れてしまった場合は下記のまぐまぐバックナンバーの方でも本文のみ公開していますのでご確認ください。

↓メルマガ「短編小説家」のバックナンバー
http://blog.mag2.com/m/log/0000169503/

そして今年の小説は本日までで、次回は来年1月14日(日)を予定しています。予めご了承ください。


※この作品はフィクションであり、実在する、人物・施設・団体とは一切関係ありません。

                         正義のみかた

第二十二章 白々しい二人

美方裕治氏37歳。若い頃から名うての検察官として売り出し、その辣腕ぶりには定評がある。様々な刑事事件を担当し、あの大物政治家である滝田権太郎氏の収賄事件を立証、有罪判決を勝ち取った事で一躍脚光を浴びた。そして7年前、私の事件の担当検察官でもあった。当時同じ法曹界の人間でかつ私とそれ程歳が違わないのに、随分と頼りがいのある兄貴的な存在に見えたものだ。「私に任せてください」と言われ、この人にならば全てを任せて安心だと思った。

若葉さん母子殺人事件担当検察官の中に彼の名前を見出した時、私は愕然とした。それは裁判の相手としてこれ以上手強い相手はおらず、加えて気まずさもあるからだ。今回裁判で争う事件は当時の私の事件とは当然全く別の事件であり、必要以上に気負う必要はない。お互いの立場で仕事をこなすだけなのだから。しかし過去に加害者を責める立場であった人間が今度は加害者を守るべく論調を転じなければならない。しかも相手が彼だ。味方にすれば百人力の彼だが、敵に回せばこれ程恐ろしい相手は知らない。私は身震いを覚えずにいられなかった。

美方氏とは私の事件が結審した後もプライベートでよくお付き合いさせていただいた。彼の美しい奥さんの手料理もよくごちそうしてくれた。言ってしまえば彼と私は戦友であり、仕える組織は異なれど同じ理想と信念を持った仲間であり、良きライバルであった。「法治国家に属する人間は全て法の下に平等に裁かれなければならない」彼が滝田氏の収賄事件後に出した本の一行目に書かれていた文章だった。

ここ数年は互いの仕事の忙しさもあり、公私共に会う機会はめっきり減ってしまった。久しぶりの再会がまさかこのような形になるとは。恩を仇で返すとは正にこの事ではないだろうか?今日の公判前整理手続きで顔を合わせなければいけないのはわかっているのに、開廷前に挨拶に伺おうとして思い止まってしまった。私は意識し過ぎているのだろうか?

一方の美方氏は私の事をどう思っているだろう?節操のない、倫理感のない輩だと思われてはいないだろうか?彼に軽蔑されるのはすごく嫌だった。しかし私はある一つの確信、根拠はないが同じタイプの人間であるが故に共感する確信を持っていた。それは彼もプロである以上、少なくとも法廷内では過去の経緯や立場には捕われず、淡々と与えられた仕事をいつも通り全力でこなしてくるであろうということだ。ただひたすら正攻法に、私の論点に生ずる矛盾点や隙があらばそこを付いてくるであろう。私はそれに対するに極力隙を作らないようにする。ただそれだけだ。お互い旧知の仲とは言え、手を抜くはずもない。

今回の裁判の論点は「幸恵さん、来未ちゃんの殺害は故意か?」「年齢的に責任能力はどの程度備わっており、どの程度まで責任を問えるのか?」という点だ。殺害してしまった事実は揺るがない。そのことは敦君も認めている。有罪は確定的だ。であれば量刑がいかに「公正な」水準で、過去の判例から考慮しても「適切な」形で付与されるかが焦点になる。ただ今回はこれに加えて逃走という余計な事態も起きた。この分より一層不利な立場からスタートすることになったのは間違いない。

せめて早めに入廷しておこうと思った。それがわたしの美方氏に対する敬意の表し方である。そしてその姿勢だけではなく、実際私の持てる全てを出し尽くして争う事も敬意の表現方法だとも思った。今回の公判前整理手続にあてがわれた202法廷の扉を開けると私を補佐する事務所連中と共に被告側の席に着いた。

法廷内で資料の確認をしていると、やがて美方氏が入廷してきた。大学ラグビーで鍛えた大きな体と卒なく着こなしたスーツ姿。短めに揃えた頭髪。少し日に焼けた顔。法廷で見る彼はプライベートで会った時に比べて一回りも二回りも大きく見えた。そしてそれはまるで超えられそうにない大きな壁のように思えた。

美方氏は私を見ると目で軽く会釈をした。私は頭を下げた。風格の違いと言うかオーラの違いと言うか。しかし私だってこれでもそこそこの弁護士事務所のオーナーである。隣に座る事務所の弁護士らを束ねるお殿様なのだ。端から見ると歳をとる毎にそれなりの貫禄も付いてきたかも知れないが、少なくとも今の私の心境においては蛇に睨まれた殿様蛙といったところだった。

傍聴席から見て右手が被告側の、左手が原告側の席となる。つまり私は正面の裁判官から見て左側に位置する。その反対側の席に美方氏を始めとする検察団が着席する。いよいよ覚悟を決めないといけないなと思った。いや、何を今更情けない事を言っているのか。だらしがない。私は一つ大きく深呼吸をして気を落ち着かせようとした。

一方向かい側の美方氏はどうか。何事もないように他の検事と資料を見合わせながら最終的な打ち合わせをしている。最初に目線を合わせたきり、こちらを見ようともしない。向こうも気まずさを感じているのだろうか?いかんいかん。こちらも集中しなくては。我々はやや口早に最後の打ち合わせを行った。

公判前整理手続は非公開だ。従って傍聴席に第三者は入って来れらない。裁判官と原告側の代理人である検察、被告側の代理人である弁護人、そして出席を求められる被告のみで進められる。

間もなく裁判長を筆頭に3人の裁判官が入廷してくる。裁判官が入廷してきた際は法廷内の人間全てが起立しなければならない。裁判に厳粛性を備える儀式的な意味合いもある。それぞれの裁判官がそれぞれの席に着くと我々も座った。そして公判前整理手続の開始が裁判長の口から告げられた。

「えーと、それでは被告人を入廷させてください」
案外アットホームな物言いであるのは、今回が少年事件だからというわけでもない。毎日毎日裁判が行われており、多少は形骸化してしまうものなのだ。特に地方裁判所の場合は法廷も高裁、最高裁に比べて規模も小さいため、余計にそうなってしまうのも仕方ないかも知れない。初めて傍聴に来た人は驚くかも知れないが、映画やドラマとは違って現実はこういうものだ。勿論裁判の中身や判決までアットホームになる事はない。真剣勝負だ。

間もなく体の前で手錠に繋がれ、腰ひもを付けられた敦君が警備員に挟まれ背中を丸めて法廷内に入ってきた。目線は下げたまま中央、証言台の横に立って法廷内の視線を一身に浴びた。いよいよ役者は揃った。ここからが本当の始まりでもあった。私が感じた身震いはきっと武者震いに違いなかった。