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KA.Blog

株式市場で気になる銘柄をピックアップして分析、検証していきます。主に中期~長期の投資で成果を上げ、値動きを追っていく予定です。株の他にも日常の話題やコーナーで綴っていき、むさくるしくない(?)ブログにしていきたいと思っています。

私と近鉄バファローズ

地元富山に野球の独立リーグ(BCリーグ)のチーム「サンダーバーズ」があるのですが、そのサンダーバーズにあの元近鉄バファローズのホームラン王であるタフィ・ローズ氏が選手兼任コーチとしてやってきましたローズ選手はホームランのシーズン記録で当時世界の王さんが持つ55本に並び、非常に優れた成績を残しました(後にヤクルトのバレンティンが60本まで記録を更新しました)

それより何より、私の記憶に一番強く焼き付いたのは、あの01年に近鉄が優勝を決めた試合。昔から日ハムファンだった私ですが、01年は丁度大阪に住んでいたということもあって、当時はその優勝決定戦を見に行ったのです

01年9月26日。その日近鉄が勝てば89年以来のリーグ優勝が決まる、しかも本拠地大阪ドームで胴上げを決めるなら、ここで勝つしかない(既にマジック1で、その後一週間アウェイになる)という大切な試合でした

その年は自慢の「いてまえ打線」が大爆発ローズが55本のホームランを打って3番に座り、4番にも46本を放つ中村紀が居て、チームの本塁打計が200本を越えるという強力打線でしたちなみにその年日ハムはダントツのビリで、私は早々に諦めていました・・・

というわけで、にわか近鉄ファンに寝返った私は、せめて優勝の瞬間を味わいたいということで、その日の試合だけ見に行きましたその翌月に大阪を離れるということも決めていたので、最後の良い思い出になれば、と

外野は全て売り切れだったので3塁ビジター側(対戦相手は今の統合相手のオリックス)の内野席。ただ、その日は当然と言いますか、大阪ドームの99%が近鉄ファン。同じ関西圏ながら、オリックスもBクラスだったので致し方無い感じ

で、そんな大歓声を受けながらも、試合が進むにつれて次第に敗戦色が濃厚となっていきました9回表が終わった時点で2-5。が、さすがに歴史的な試合ですから、諦めて帰るお客さんはほとんどいませんでした近鉄側も守護神大塚を投入したり、最後まで勝ちパターンに徹します。逆に数少ないオリックス応援団は周りから「空気読め」的なオーラがビシビシと伝わっていたはずです身の危険を感じる程

9回裏は当時のオリックスの守護神大久保が2イニング目のマウンドに上がっていました。しかも6番吉岡(現サンダーバーズ監督)からの下位打線ですし、正直私も含めて諦めモードのファンも多かったと思います

ところが土壇場で打線が繋がりノーアウト満塁の大チャンスもし一発が出れば劇的なサヨナラという場面で、前日もホームランを打っている北川が代打で登場しますこの時点で球場はかなり「いけるんじゃね?」感が高まっており、大久保も完全に空気の飲まれたような感じでした。

そして2ストライク・1ボールと追い込まれた4球目。北川の打った打球がセンター方向にビューンと軽々と飛んでいくと、そのまま劇的な代打逆転サヨナラ満塁ホームランに当然球場は総立ちになり、私も本当に鳥肌が立ちましたこんな漫画のような試合が本当にあるものか、と



しかし大興奮で見知らぬ周りの観客と喜び合う私の目に焼き付いたのは、喜んでグラウンドに集まる近鉄の選手達の姿ではなく、3塁コーチャーズボックスからがっくり肩を落として帰る故・仰木監督の姿でした

仰木監督は当時監督でありながら3塁コーチとしてグラウンドに立ち続けるスタイルでしたが、その前に近鉄が優勝した89年当時の監督でもありました。近鉄に対する思いや、それでも育てる意味も込めてマウンドに送り出した大久保に対する思いなどがあったんだろうなぁ、と心中勝手に察して、私はちょっとグッとくるものがありました

ともあれ歓喜に沸く大阪ドーム帰りはビールが100円で振る舞われ(本来は700円)、大の近鉄ファンとして知られるハイヒールモモコさんが子連れで皆に「おめでとう」と声をかけられている姿もありました

ちなみにその翌週、消化試合となる本拠地最終戦は無料で開放されました私はローズの56本目のホームランが出て、そのホームランボールが取れたら億万長者になれるかな、などと邪な気持ちで観戦に行ったのですが、残念ながらホームランは出ずに終わりました

結局近鉄はその年ヤクルトとの日本シリーズにあっさり負けてしまい、遂に球団創設来一度も日本一になれなかった球団としてその後幕を下ろすことになりましたともあれその最後の優勝決定の瞬間に立ち会えた私は幸せでした後にも先にも、胴上げを目の前で見ることができたのはそれっきりです(つづく)