母の世代の人の特徴として「物が捨てられない」というのがありますやはり昔は物が無かった時代ですから、何でも「これも持っておけばいつか使えるかも」というのがあります。
一方、我々の世代は物が溢れた時代に育ち、今は何でもシェアリングの時代ですらありますから、なるべく物を持たない方が良い、所有することのコスト・リスクを意識する世代です。不動産ですらそうですねですから使わないものはなるべく捨ててしまって「1年間使わないものはもう使うことないんだから捨ててしまえ」という断捨離を美徳としています。
そんな世代間ギャップもあるのですが、私の実家はほぼゴミ屋敷化しています実家は7部屋+物置で構成されているのですが、実質的には3部屋+物置5つという状況になっていて、使わない物で身動きが取れない状況になっています具体例を挙げると、一つの部屋の中にハサミが10個もありました母いわく「まだ使えるのだから勿体無くて捨てられない」と言います
理論的にもいわゆるサンクコスト(既に支払ってしまったコスト)は戻らないのですから「もったいない」が過剰に過ぎると、無駄に保有しておくスペースが消費されてしまうので、有害ですらありますまた、身の回りに物が溢れると集中力が散漫となってしまうので、何も良いことはありません
ですから私が「ハサミ2、3個は残して良いから後は捨てろ」と言うのですが、頑として聞きませんどんなに上述のように理路整然として説いても拒まれます。近年年のせいか、特に頑固さに拍車がかかってきたようにも思えます。他人の言うことなら聞くけど、息子の言うことは聞きたくない、と言わんばかり。老いては子に従えという諺を知らんのか
ただ今回、同居するかも、ということもあったので、稼働できる部屋を増やさないといけませんから母も渋々重い腰を上げたようです。また、隣の家が数年前にやはり独居のお婆さんが亡くなり空き家になったのですが、奈良に住む娘さんが暇を見つけては片付けに来ているのも刺激になりました。
奈良から富山まで来るのは大変ですが、それでも家の中に残された遺品が山のようにあって、業者に頼もうとしたところ70万円かかると言われたそうでであるなら、自分達で片付けた方が良いと、休みの度にきて片付けているのだそうです。母もそれに感化されて、自分の死後を意識し始めた点もきっかけになりました。
お陰様で最近は「捨てる喜び」に気付いたようで、ゴミ回収の日にはたくさんのゴミを車に詰め込んで収集場所に運んでいます。それで最近ようやく2部屋ほど「使える部屋」に戻りましたが、部屋の一つにはネズミが居た痕跡があったり、なかなか廃墟感があります
だいぶ話が逸れましたが、そういう部分も母と嫁のソリが合わないという一因。その件に関して母に言うと、母も自分のアイデンティティを否定されてムキになり、1度大げんかになりました私は折角母が待望していた孫も生まれて順風満帆に話が進むかと思っていたのですが、今まで表面化しなかった火種が表に出て来てしまい、非常に嫌な気持ちになりました(つづく)