終わると見せかけてまだ続く沖縄話です。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/joeshow/KA.Blog/20130301.html
おきなわワールドを跡にした我々は「ひめゆりの塔」へと向かいます。ひめゆりの塔はご存知の方も多いでしょう。
太平洋戦争末期、遂に沖縄に上陸してきた米軍に抗するべく、当時15歳~19歳の女学生までも看護要員として従軍させられましたが、いよいよ米軍の手が迫ってると、全員壕の中へと逃げ込みます。しかし手榴弾やガス弾などを投げ込まれ、そのまま壕の中で80名あまりが絶命しました。その跡地にひめゆりの塔が作られ、今も戦争の悲惨さを語り継ぐ場所となっています。
カーナビの示す通りに運転し、我々は無事ひめゆりの塔に到着既に日も暮れて、記念館の閉館時間が迫っていました。なので観光客もまばら。
駐車場に車を停めて降りると、道路の向かい側の土産物屋のおばちゃん達が丁寧に「こっちこっち」と案内してくれます。しかしその裏には「今日最後のお客さん。帰りは何かうちで買っていってね」というムードが見え隠れし、ちょっと帰りを警戒する我々
で、案内された方向に進みましたが、一向に塔らしきものは見あたりません目の前にあるのは大勢の戦没者の名前が記された記念碑と地面に大きな口を開いた壕。これが最も悲惨と言われた伊原第三外科壕のようです。
覗き込むと深さ10mくらいあり、それぞれ10数メートル四方の壕である様子。高所恐怖症の私はこれだけでクラクラこのような陽の当たらないところで何日も隠れ続け、最後には無惨に殺されるとは。無念さに思いを馳せ合掌。
結局タイムオーバーで記念館も閉まってしまったようだったので、せめて塔だけでも見ていこうと思い必死に探す我々しかし塔というくらいだから、すぐに目に付きそうなものだけれど・・・
母が「そう言えば姉ちゃんが行ったことあるっていってたから、姉ちゃんに電話で聞いてみよう」と提案。で、姉曰く「何か大きな穴あるでしょ?それそれ」とのこと。へっ?
実はひめゆりの塔とは我々のイメージするいわゆる高層の建築物ではなくて、穴の横に据え置かれた高さ数十cmの小さな石碑。それに「ひめゆりの塔」と記されています。その事実を知らずにやってきた我々のような者が皆、突っ込みたくなるような事実でした。多分修学旅行生とかは皆笑いながら突っ込んでいるのでしょう。
しかしwikipediaなどで見てみると、これは当時物資難であったこと、また米軍の統治下であったために派手な慰霊が出来なかったことが原因の様子。そう考えると非常に切ないひめゆりの塔。うん、これは立派な塔ですね(もう一回だけつづく)