父の話の続きです。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/joeshow/KA.Blog/20161016.html
入院してから一週間後、病院から電話がかかってきました。電話がかかってくる度ドキッとしましたが、看護師さんからで「担当の先生がご家族の方と話がしたい」とのこと。母と私と嫁は指定された時間に病院に行き、カウンセリングルームで父の今の容態と状況の説明を改めて受けました。
肺炎は治ったものの、全然ご飯を口から食べることができるようにならず、リハビリの先生でも難しい状態であるとのこと。リハビリの先生ですら難しいなら、もう自分はもとより、誰か介護する人に食べさせてもらうのも無理だろう、とのことでした。
「今回お呼び立てしたのは、今後についてどうするかをご家族で決めて欲しい」ということでした。選択肢としては2つ。首から管を通して高カロリーの栄養を注入するような「PTEG」と言われる処置をするか、もしくは胃に穴を開け、そこから食べ物や水分などを直接入れて必要な栄養分を摂取させる「胃ろう」という処置のどちらかを選択して欲しいという相談でした。
私は「一時的にPTEGにして、また口から食べられるようになったら取り外して以前のように戻れますか?」と尋ねましたが、「まあ可能性としては0ではないけれど、現実的には難しい」との回答でした。「胃ろう」の方にすると、もう今後口から食事を採ることはないだろう、とのこと。
そして「そもそも動物は自分から食事が取れなくなったら終わりだ。後は衰弱していくだけだ」と淡々と言わました。私も確かにその通りだと思ったので、その吐き捨てたような言い方にも特段腹も立たなかったし「やはりそうか」と思っただけでした。母はある種の死亡宣告を受けたような感じで、隣で固まっていました。
私は単なる延命措置には反対でしたが、実際父はまだ我々に対して反応を見せる。昏睡状態や意識が無くなった場合にはやはり反対しなければならないだろうけれど・・・その線引きが実際は難しいんだな、とそのような状況になって初めて理解できました。
「これは延命治療になるのでしょうか?」・・・とは医者には聞きませんでした。ある種、このような思考が「言い訳」になっているのでしょう。本質的には延命治療なのだけれども、延命治療とは考えたくない、と。そもそも実際に昏睡状態になった場合、果たして自分は父の命を奪う決断ができるのか?その自信すら無くしてしまいました。
まして母は少しでも延命して欲しいと考えているじゃないか。そして私は最後に「先生はこの二つの選択肢が現状でベターな選択肢と考えておられるのですね?」と問いかけ「そうです」と回答を得ました。結局コレを免罪符にしたような形で、私は「ではPTEGでお願いします。PTEGならまだ口から食べれるようになるかも知れないんですよね?」と都合良く決断の責任を周囲に分散させました。(つづく)