KA.Blog

株式市場で気になる銘柄をピックアップして分析、検証していきます。主に中期~長期の投資で成果を上げ、値動きを追っていく予定です。株の他にも日常の話題やコーナーで綴っていき、むさくるしくない(?)ブログにしていきたいと思っています。

やっぱり山本昌がやる~♪

山本昌の講演会話の続きです(※今まで「山本昌氏」と書いてきましたが、よく考えたら本名ではなくて登録名なので、氏はおかしいと思いましたから外しました)。

8月に日本に山本昌が戻ってきた頃、ドラゴンズは優勝争いの真っ最中先発の柱が足りなかったこともあり、すぐさま先発ローテーション入り戻ってきてからは見事に星野監督の期待に応え、5連勝となり、88年のドラゴンズ優勝に大きく貢献しました

残念ながら日本シリーズでは西武ライオンズに負け敗戦投手チームもそのまま日本一を逃してしまいましたともあれ、その3ヶ月間の働きぶりで年俸は400万円→1100万円の3倍増。「たった3ヶ月の働きでこんなに評価が違うのか」というのが正直な感想だったそうで、モチベーションアップに繋がったのだとか。

その後の活躍は推して知るべし。翌年は10勝を挙げ、今中とのWエースの二枚看板として、敵チームに嫌がられる存在になりました。94年には2年連続の最多勝と投手の最高勲章沢村賞を受賞。長年チームの大黒柱として君臨し続けることになります

個人的に特に印象に残っているのは何と言っても41歳で達成したノーヒットノーランあの落合監督が帽子をとって最敬礼のお辞儀をして出迎える程の偉業を達成しました元々技巧派投手であり、力で押すタイプではなかったからこそ、円熟して長く続けられたのだと思いますが、50歳という球界最年長記録を残して31年間というプロ野球史上最も長い現役生活に幕を下ろしました。

翌年3月、一旦自由契約扱いになり、1日だけドラゴンズと契約するという奇策でオープン戦での引退試合が行われました。なお、中学時代に散々練習したバントのお陰で、通算犠打数153は投手最高記録。その裏側で、全1209打席に一本もホームランが無く、野球人生の心残りは日本シリーズで結局一勝もできなかったことと、ホームランが一本も打てなかったことだそうです。(つづく)