父の話の続きです。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/joeshow/KA.Blog/20161127.html
ただ父はこの日を境に完全に意識や反応が無くなり、いわゆる植物人間のような状態になってしまいました。
そしてその後も何度か39度レベルの発熱を繰り返し、その度に緊急の電話がかかってきて我々は都度呼び出されました。特に患者の容態が悪くなるのは夜中や明け方が多いですから、午前3時や6時に度々呼び出されました。そしてその後は容態が安定し、数時間後結局また家に帰ります。
看護師さんも「万一のことがあるといけないと思って」「先ほどは一時呼吸も止まって本当に危なかったのですが」とその都度バツの悪そうに言われました。我々は「いえ、とんでもないです。また危なかったらいつでも呼んでください」と応えていました。
ただ現実的に人でなしな感想を言えば、最初に発熱して危なかった時が悲しみのピーク第一波で、後は段々と耐性が付いていき、呼ばれても「またか」というような気持ちの方が強くなっていったのは正直な気持ちです。こんなに父が頑張っているのに。
一生懸命酸素を取り入れようと頑張っている父の肉体を目の前にして「早く決着を付けてくれ」とか「父ちゃん、せめて夜中は頑張って」とか。自分勝手な気持ちが去来していました。少なくとも私と姉の中で父は実質的にこの日に亡くなったような気持ちになっていました。もう父がこちらの呼びかけに応えることは無いでしょうから。
ただ一人、母だけは父が一日でも一時間でも一秒でも長く生き長らえることを祈り、毎日ヤキモキした日々を送っていました。母は以前から「父よりも一秒でも長く生きるのが私の使命」と言っており、それが母の生きる意義にもなっていました。そのためだけに父の身体は命を繋いでいるようにも見えました。
父に付けられた色々な計器の数字が何を意味するのかも教わり「今日もこのくらいの数字なら大丈夫そうやね」などと言って自分達を安心させて帰りました。正直、数字が安定しているうちに帰らないと、また今度いつ呼び出されるかわかりません。しかもずっと病室に居ると、まるで父が死ぬのを待っているようにも思え、その分自己嫌悪感が一層強まるのが嫌でした。(つづく)