KA.Blog

株式市場で気になる銘柄をピックアップして分析、検証していきます。主に中期~長期の投資で成果を上げ、値動きを追っていく予定です。株の他にも日常の話題やコーナーで綴っていき、むさくるしくない(?)ブログにしていきたいと思っています。

父との別れ その16

父の話の続きです。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/joeshow/KA.Blog/20161127.html


そうやって病院に呼び出される状況が4回続いた後の8月19日。たまたま夕方に見舞いに行ったその時にも、父が危篤状態に陥りました。が、またその後回復を見せ、父の容態は安定しました。もっとも、意識や反応が無いのには変わりませんけれど。

その際も計器の心拍数や酸素濃度の数字が安定していたので、母に「もう今日は帰ろう。早く帰らないとまた帰れなくなるよ」と言いました。すると母がその日に限って「そうやね」と同意せず「あんた達帰りたいなら帰られ。私は残る」と言いました。

そう言われると何となく帰り辛くなりましたが、私と姉は反応が無い父に「じゃあ明日また来るね」と言い残して病室を跡にしました。

一応その日はそれで過ぎたものの、翌朝の早朝。病院から母に「すぐ来てください。もう呼吸されていません・・・」と電話がかかってきました。母一人で車を運転させるのが危ないと思った私は「今日はそっちに迎えに行くから待っとられ」と告げ、実家の母を乗せて病院に向かいました。

電話から15分くらいで病院に着くと丁度姉もやってきて、3人で病院のインターホンを押し、非常口から中に入れてもらいました。足早に病室に向かうと、もう計器の反応が無くなって呼吸もしていない父がベッドの上に横たわっていました。ただ触ってみるとまだ暖かさが残っており、つい先ほどまで生命があった様子はわかりました。

「すみません。もう電話をかけた頃にはほとんど呼吸も止まった状態でした・・・」と看護師さんに言われ、結果的にはどんなに頑張って急いで来たとしても、死に目には間に合いませんでした。ただ、前日に母が病室に居残ったのは、もう一緒に居られる時間がわずかと感じ取ったからなのだと思いました。

我々3人は最後にそれぞれ「お父さん、今までお疲れ様でした」などと声をかけました。呼吸を続け口を開けっ放しの状態のまま亡骸となった父を見ると、最後の最後まで戦った姿に、3人とも涙はありませんでした。

昔、私が丁度二十歳の頃、父の母である祖母を亡くしました。祖母は最後に痴呆が入り、施設にしばらく入所。父を含めた親族のことが誰もわからなくなってから5年ほど後に亡くなりました。

私にとっては人生で初めて親族の葬式だったのですが、その葬儀の後、父は母に「正直ホッとした」と言いました。横で聞いていた私は「父ちゃんそんなことを言うんや」と内心思いました。次男であるのに実質的に実母の面倒を見ていた大変さもわかりますから、責める意味はありません。ただ父が自分の感情を口に出すことはほとんど無い人だったので、余計不思議で印象が強かったです。

そしてそれから更に二十年が経過し、私もようやくその時の父の心境がわかるようになりました。特に死に際の2週間、苦しそうに呼吸だけしかしない父の様子を見ていると、むしろ死が双方の苦しみをようやく解放してくれた、というような気持ちが勝りました。私以外の2人も、むしろ安堵の色彩が強かったと思います。

その後、呼び出しに応じた医者が病院にやってきて、瞳孔などをチェックし正式に死亡を確認しました。父は生物学的には私が到着する前に、書類上では私が到着した後で8月20日7時6分に亡くなりました。(つづく)