KA.Blog

株式市場で気になる銘柄をピックアップして分析、検証していきます。主に中期~長期の投資で成果を上げ、値動きを追っていく予定です。株の他にも日常の話題やコーナーで綴っていき、むさくるしくない(?)ブログにしていきたいと思っています。

回る回るよ

昨日発売された年末ジャンボ宝クジを買いに行ってきました。何となく相性のいい店舗があるのでそこでバラで8枚だけ。ところが今日は残念ながら閉まっており、失意に充ち満ちて帰ってきました(T_T)後日再チャレンジ!

ところで何故8枚かというと、1枚買って300円すら当たらなかったら2枚、2枚買って外れたら3枚、3枚買って300円でも当たったら次も3枚・・・という規則で購入していまして、なんだかんだで8枚になったわけです。ちなみに最高当選金額は3000円です(-。−;)

宝クジは残念ながら期待値の低い商品で、私に言わせてみれば株よりもよっぽど投機的であると思います。しかし買わないと当たりませんしね。先ほどの規則でいくと10枚より多く買うことはありませんからそこそこの金額で投機し夢を買うことができます。

ところで実際に当たった人って身近にいますか?少なくとも私の周りにはいません。当たった人は無論ラッキーなのですが、人伝えに聞いた話によると1等が当たったのは良かったけど勤労意欲を失って職も失い散々な人生になった人もいるとのこと。人生の歯車はどこで変わるのかわからないものです。とりあえずたかだか数億円なんてはした金と言い切れるようになりたいものです(;^_^A

さて、今日は日曜なので小説の日です。前回までの分は先週までブログを参照してください。


                          正義のみかた

※この作品はフィクションであり、実在する、人物・施設・団体とは一切関係ありません。

第十九章 黒ずんだ思い

雄三氏の所へ裁判前の最後の報告に行った。裁判までの段取りを説明し、了承を得る。実は最近「公判前整理手続」という制度が新設された。これは来るべき裁判員制度に備えて裁判の迅速化を計る目的で新設されたものだ。予め裁判を始める前に、非公開で検察官と弁護士が裁判官の前でそれぞれの主張を明確にし、争点を整理。そして証拠調べの請求や開示をしたり裁判の日程などを決定する。裁判の大方の流れはこの時点であらかた決まってしまう。そのため裁判当日に隠し球を用いて判決を覆すというようなドラマチックな展開は望み辛くなった。全ての説明が終わった後「全て弁護士さんにお任せ致します」と一言、雄三氏は疲れたように応えただけだった。

事件後、雄三氏は勤め先を辞めた。辞めざるを得なかった。どんなに少年の名前が実名報道されないとしても、職場内には噂は出回る。それに耐えながら仕事を続けられる人はまずいないだろう。

「あいつは本当は良い子なんです」
よく聞かされる言葉だ。親なら当然のセリフかも知れない。
「昔あいつはカマキリを飼っていたんです」
突然何を言い出すのか、雄三氏は語り出した。

敦君が子供の頃、近所の草むらでカマキリを捕まえて帰ってきた。子供にとって昆虫とは興味の対象であり、自分より弱い動物であり、一種の子分ののようなものだ。それを誇らしげに両親に見せた敦少年は虫かごの中で「キリー」と名付け大切に育てていた。

ある日虫かごの蓋を開けた拍子にキリーが飛んで逃げ出した。運悪く庭の窓が開いており、そこからキリーは自由の空へと飛び出したのだった。どんなに敦君が愛情を持っていたとしても昆虫には伝わらない。自分の自由を求めるだけだ。

大切なキリーに逃げられる!敦君は窓から靴も履かずに飛び出した。しかしキリーはどこにもいなかった。庭の垣根を飛び越えて外に行ってしまったのだろうか?垣根の向こうの道路に探しに出た敦君が見つけたものは・・・

無惨にも車に轢かれてしまったキリーの姿だった。腹は潰れ、ペシャンコになってしまったキリー。敦君は泣いた。泣きながら家に戻ってきた。雄三氏が「どうした」と聞くと「キリー死んじゃった」と答えた。「それでキリーはどうしたんだ?」「どうしたって?・・・そのまま道路にいるよ・・・」雄三氏はそれを叱りつけた。「お前の好きだったのはキリーの動いている姿だけか?潰されて動かなくなったキリーもさっきまではお前の好きなキリーだったんだ。そしてお前がしっかりと見ていないからキリーはこんな目にあったんだぞ。ちゃんと墓を作ってやりなさい。それがお前の保護者責任だ」

「・・・それから動物や弱い者に対しては愛情を持って接する良い子でした。だから私は最初あの子が人を殺したと聞いてにわかに信じる事ができませんでした。・・・私があんなに良い子を人殺しになるまで追い込んでしまったのです。私がいけないんです。私が・・・」
苦しむ雄三氏にかける声が見当たらなかった。雄三氏も当時はまさかこんな事になるなんて予想だにしていなかっただろう。一つの過ちが歯車を狂わせ、プットアウトされる事象を大きく歪めてしまった。

しかし一方で私の中の負の部分が鎌首をもたげる。はっきり言ってしまえば親の過大評価である。動物が好きな人間に悪い人はいないというが、それは一般論であって何の根拠もない。動物に優しくても人に優しくない人間は確かに存在するのだ。事実敦君は非行に走り、殺人事件まで犯しているのだ。

どうしても親としては情が移り「うちの子に限って」と思ってしまう。子供の良い一面ばかりがクローズアップされて、悪い面が見えなくなる。別に今回の雄三氏の発言にそこまで含むところがあったわけではないであろう。だが実は今だから言えるが、私はこの時少しムッとしてしまった。そうやって親の過保護なフィルターが強過ぎて、子供が出すサインを見落としていたからこのような事件を引き起こしてしまったのではないか?ともすれば故意に見落としてすらいたのではないか?と。

少しひねくれているなと自分でも思った。一方で私の被害者意識からこう捉えているのではないかとも思った。もし私が同じような事件の被害者でなければ、このような穿った見方はしなかったのではないだろうか?

翻って自分はどうなのだろう?梓は小さいうちに命を奪われてしまった。だから将来梓がどういう風に育つのか実際に確認する術はなく、もはや彼女は私の妄想の中だけでしか成長できないのだ。私と洋子の子供である以上、絶対に良い子に育つ自信がある。しかしこれも他人から見ればやはり親バカの限りだ。

梓も大きくなった時に「お父さん臭い!」と言うだけならまだしも、深夜の繁華街をうろつく家出娘になる可能性だってあったのだ。私の家族もどこで歯車が狂うかわからない。その時娘の出すサインに私は気づいてやれたのだろうか?100点満点のパパになれなかったとしても、少しでも満点に近い評価を得られたであろうか?少なくとも私の妄想の中ではとびきり美人で気立てが良く、良い娘に育っていた。

雄三氏はまだ俯いて泣いているようだった。私が今度は泣かずに済んだのは、一方の白けた感情が私を客観的に見下ろしていたからだった。弁護士として仕事をする上で情も必要だろうと私は思っている。しかし今回の案件で私は情を移らせるわけにはいかない。

私がこの案件を引き受けた一番の理由は「被害者である私」という個を取り除いて単なる一弁護士としてこの事件を見つめた時、私の事件が自分の目にどう映るのか確認してみたかったのだ。

私の事件での裁判では、私は被害者でありながら第三者でもあった。私自身は何も判決に影響を与える事ができないのだから。洋子と梓を助ける事もできなかったのに、その後も自分は無力だった。今回の案件はそのやるせなさ、もどかしさを解消する最初で最後の機会だと思った。

当時私は相手方の弁護士を憎く思ったが責めるつもりはなかった。当然の仕事だからだ。同業種の彼らは法律の知識のない被告を助ける仕事をしているのであり、それを否定する事は私自身も否定することであった。

しかし頭の中でそうだとわかっていても割り切れない部分はどうしても残る。それが私が弁護士という職業を続けていくにあたって一つの障壁になっているのだ。私が必要以上に過去を振り返らずに生きていくためには、どうしても越えなければいけない障壁。それを越える答えが正にこの案件の中にあるはずだった。

「誰の目にも明かな形で法による決着を付けるための手助け。それが私たちの仕事よ。」洋子の口癖でありポリシーとも言えるセリフが頭の中によぎった。洋子、もし立場が逆で私が殺されていたらどうやって生きていく?やはり過去を引きずって生きていくのか?それともただ前を見て力強く進んでいけるか?洋子、お前ならどうする?考えても栓のないことだとわかっていながら、それでも考えずにはいられなかった。そして目の前の加害者の父親は私が席を立つまでそのまま顔を上げる事はなかった。