この小説のモチーフとなった山口光市母子殺人事件の公判は未だに結審していません。長い裁判は原告を精神的にも金銭的にも苦しめ、益々大変な負担を強います。ご遺族の無念を少しでも晴らせるような結論が一日も早く出ることを祈ります。
この小説も随分と佳境に入ってきましたが、多分この小説の方が先に終わるのでしょうね。裁判の迅速化は日本の司法制度の課題ですが、公判前整理手続き及び裁判員制度がこの先吉と出るか凶と出るかは今のところ何ともいえません。しかし改革にはかならずどこかは不都合がでてくるものであり、よりbetterな方へと動くだけで満足していかないといけない部分もあります。
これはあくまで一個人の意見として言わせていただきますが、少なくともマスコミ報道を信じる限り、今回の事件の弁護側のやり方はフェアじゃないと思います。少しでも裁判を長期化させ、原告側と妥協点を見出そうとしている姿勢は本当に正義と言えるのかどうなのか。彼らの職業倫理はどこに忠誠心を置いているのでしょうか?真実は神のみぞ知ると言ってしまうのはあまりにも無責任であり、人間が人間を裁くのであれば少なくとも万人が納得できる形でないと意味がないと思います。その結論の着地点を奈辺に定めているのか、甚だ疑問を感じます。この裁判、一体どういう形で終わるのでしょうか?
さて、今日は日曜なので小説の日です。前回までの分は毎週日曜のブログを参照してください。前回までの分が読み辛い場合や余りにも長過ぎて過去の話を忘れてしまった場合は下記のまぐまぐバックナンバーの方でも本文のみ公開していますのでご確認ください(リンク先の画面上部「前のページ」で過去の作品に遡れます)。
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正義のみかた
※この作品はフィクションであり、実在する、人物・施設・団体とは一切関係ありません。
第二十七章 黒子のいない劇場
「聞いたところによりますと・・・」
わざと雄三氏から目線を外し、何やら思わせぶりなトーンから美方氏が続ける。
「被告が拘置されている間、一度も面会に行かれなかったとか」
「・・・はい」
「それは何故ですか?」
目線を再び雄三氏に転じて問いかけた。芝居じみた動きで心理面での効果を狙っているようだ。
私は腰を半ば浮かせながら挙手をし、再度間を取ろうと図る。
「裁判長、本件に関係のない尋問だと思われます」
美方氏がすかさず反論する。
「いえ、きちんと繋がっています。続けさせてください」
二人で裁判長に向いて訴えかける。
「続けてください」
裁判長の裁可にまたしても私の請求は却下された。舌打ちを堪えて再度席に着く。しかし一方でこれは私の擬態でもあり、後の展開を一方向に向け続けさせるための布石でもあった。私の演技だってまんざらではない。法廷内は小さな劇場だ。
また一つ小さく咳払いを挟んで、自分のリズムを取り戻しつつ美方氏が問い続ける。
「何故ですか?」
「それは・・・こんなことになるまで敦の出すサインに気付いてやれなかった自分に不甲斐なく、情けなく思って合わせる顔がなかったからです」
「そんな人が本当に息子さんを更生させる事ができるのですか?自分の真の姿を子供に見せられない親に、向き合おうとしない親に子供が心を開きますか?私にはとてもそうは思えません」
美方氏が断言する。雄三氏が返す言葉を探る暇も与えず、間髪入れずに言葉を繋ぐ。美方氏がやや声のトーンを落とし、人差し指を立てる。やはりその動きも芝居じみていた。
「もう一つ。先日彼は鑑別所から逃走しました。その時真っ先にあなたに会いに行きましたか?」
「いいえ」
「そうでしょう。あなたは被告にそこまで信頼されているわけではないということです。果たして被告はそんなあなたの言うことを聞くでしょうか?第三者から見てあなたがた親子の関係は極めて希薄と言わざるを得ない」
美方氏が手厳しく指摘した。雄三氏の父親としての姿勢を責めると共に、敦君の定性的な凶暴さ、残忍さは更生の余地もなく、とにかく檻の中に入れておくべきだという論調を展開したいようだ。
「私は不完全な父親です」
雄三氏がポツリと呟くように言った。
「家族を騙し、自分を騙し、都合の良いように生きてきた。それは認めます。しかし失礼ながら検事さん、あなたは自分が完全な親だと思っておられますか?裁判官の方々も自分が一点の隙もない親だと自覚されておいでですか?」
問いかけの形ではあったが、雄三氏は返答を期待しているわけではなかった。そのまま言葉を繋げる。
「世の中に完璧な人はいません。必ず何らかの欠点があって、それを補おうとして努力しながら生きている。私以外の親や学校の先生は必ず非の打ち所がない立派な人ですか?そうでないと物を教えられませんか?聖人君子でない限りは子供を教育できませんか?」
思わぬ雄三氏の反論に美方氏も眉を寄せた。一見気の弱そうな証人が言い返して来るとは思えなかったのだろう。不意打ちに遭ったという態であった。
「それは詭弁ですね」
一刀の下切り捨てたという表現が的確だろう。一瞬にして態勢を立て直した美方氏が再反論する。
「私は程度の問題を言っているのです。必要最低限の父親としての資質をあなたは持ち合わせていないと言っているのです。親権があなたにある以上、被告人がきちんと更生し、社会復帰できるか否かはあなたにかかっている」
すかさず雄三氏も対抗する。
「私も未だ発展途上の身です。人間は死ぬまで学習するのです。子供には私の良い面、悪い面を見て自分に必要なものを感じ取ってもらいたい。共に成長していきたいのです。もし私が完全であったなら、完全であるが故に子供の失敗を許せなかったり、子供の気持ちがわからなかったりするでしょう」
「しかし結果としてあなたは失敗したからここでこうしている・・・」
美方氏の反論中に私が挙手をして間に割って入る。
「裁判長!議論が本件と逸脱し過ぎています。ここは証言の場であって、議論をする場ではありません」
「検察側にこれ以上尋問事項がなければ被告人質問に移ります」
「・・・いえ、結構です」
裁判長も辟易していたに違いない。しかし何とか形勢優位のまま終わらせる事ができた。美方氏がやや悄然として席に着く。雄三氏がここまで言ってくれるとは嬉しい誤算だった。
実は検察側と我々弁護側で裁判を持っていく方向性は途中までは同じなのだ。つまり「親の監督がしっかりしていればこんな事にはならなかった」という点。だから今回の尋問のテーマがその点に集約され、検察側がその点に固執するのは私達にとっても望ましかったのだ。
裁判も一つの勝負事と割り切ってしまえば「流れ」が結果を大きく左右する。私が弁護士になりたての頃、一番苦労したのはこの流れを掴むことだった。その重要性は美方氏も等しく感じているに違いない。そして今は流れが少しずつこちらに向き始めており、その余勢を駆って最後の結論をこちら側に引き寄せたいと考えていた。例えるなら最後のレールのポイントを切り替えて、自分側のホームに電車を止めた方が勝ちということだ。
最終的にどちらのホームに電車が止まるのかはわからないが、その結果が正しかったかどうかは結局その後の敦君の更生の是非にかかっている。一方でそれは私が確認したいもう一つの命題でもあった。