毎週書いているこの小説もようやく最終回を迎える事となりました。なんだかんだで長くやってたものです。その間友人には「つまらん」と言われ、読者数は伸び悩み、へこんだ時もありましたが、何とか無事最終章まで続ける事ができました。今回はアレコレ言わずにとっとと本編に入って、あとがき的なものはまた来週にでも書こうと思います。
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正義のみかた
最終章 白か黒か
判決は下された。刑罰も概ね予想通りの内容で、双方上告もせずに裁判は結審した。正直言って私はどういう判決が下されるかなんて興味がなかった。職業倫理に反すると思われるかも知れない。しかし私が思うに、少なくとも当事者達の誰もが判決なんてどうでも良かったのではないだろうか?それは私のみならず、若葉さん、美方氏、そして小山親子ですらも。判決は単なる一つの客観的な評価に過ぎず、裁判そのものは事件を締めくくる一つの儀式といっても過言ではなかったから。
裁判が終わり護送車に乗せられる直前、騒ぎ立てる報道陣に囲まれながら歩く敦君を並んで遠目に伺う雄三氏と静香さんの姿があった。敦君は報道陣の隙間から一瞬、二人に目をやったものの、すぐに護送の係官に引っ張られて護送車に乗せられた。あの時それぞれの胸中はいかがなものだったのだろうか?にわかに窺い知ることはできなかった。
帰り支度を整え帰宅しようとする私は、裁判所のエレベーターロビーでふいに声をかけられた。美方氏であった。
「よう、お疲れさん」
「お疲れ様でした」
言いながら▼ボタンを押した。昨日の敵は今日の友。法廷内でのわだかまりは法廷内で終わらせる。あっさりしていると言われればそれまでだが、元々こういう職業を選んだ二人だ。それ以上根に持つ事はなかった。
「どうだ?何か今回の裁判で掴み取る事ができたか?」
「・・・さあて、どうでしょう?やっぱりよくわかりません。いつもこの仕事をやってて思うんですけど人の心は十人十色、何が正しくて何が正しくないのか・・・」
「人の心の事を言ってるんじゃない。お前さん自身の心の事だ」
「私もこの裁判を通じて色々な事に決着を付けたいと思っていたのですが・・・結局様々な不確定要素が新たに加わっただけと言いますか・・・」
「自分の心もわからないような奴に他人の心なんてわかるわけがない」
エレベーターの到着音に続いてドアが開く。二人とも乗り込むと1Fのボタンを押してドアが閉まった。美方氏が続ける
「結局他人の心なんて自分の基準で推し量るものなんだ。そうだろう?自分のレンズがブレていたら、わかっているはずの他人の心もブレてくるんだよ」
「・・・おっしゃる通りです」
美方氏の言う事は一々正論だった。それに対する抵抗感や嫉妬心は不思議と生まれて来ない。私は美方氏を充分信頼し、尊敬している。それにしてもそこまで言う美方氏には、私の心は捉えられているのだろうか?美方氏の意見を聞いてみたかったが、怖くなって止めた。
やがてエレベーターは1Fに到着しドアが開いた。
「裁判後の記者会見はキャンセルしたんだって?玄関口にはお前さんを待ちかまえる記者連中がいっぱいいるぞ。裏口から出て俺の車に乗せてやろうか?」
「いいえ結構です。どうせ裏口にもいるでしょうし。お気遣いありがとうございます」
「そうか、じゃまたうちに遊びに来いよ。うちのカミさんがあんたの事気に入ってるからいつも喧嘩になるけどな」
「離婚調停なら安くしときますよ」
「おいおい、そういうのをマッチポンプって言うんだよ」
「じゃあやっぱり次会う時はいずれにしても法廷になりそうですね」
美方氏は唇の左端を釣り上げ苦笑いを浮かべると一つ鼻を鳴らして「じゃあな」と立ち去っていった。私も右手を軽く挙げて応じた。
美方氏と私の立場がそっくり入れ替わっていたらどうだったのだろう?そうしたら彼は彼なりにこの事件に決着を付け、過去の事件を昇華できたであろうか?美方氏ならできるだろうか?私にはできなかった事でも美方氏ならできそうな気がする・・・止めた止めた。バカバカしい仮定の妄想癖は相変わらず治りそうにない。
遠くに玄関ロビーを見透かすと、ここぞとばかりに記者達が待ちかまえていた。私が記者会見をキャンセルしたのは苦手意識やコメントを用意できなかったからではない。未だ自分の気持ちに整理が着いていない段階でコメントする気にはならなかったからだ。とりあえずここは何とかして突破するか。玄関の自動ドアが開くと一斉に白いフラッシュライトが浴びせられた・・・
・・・それから数週間後。私にはまたいつもの日常が戻ってきていた。事務所で次の仕事に追われていたところに秋月君が声をかけてくる。
「所長に手紙が届いてますよ」
差出人には「小山敦」と書かれていた。私は仕事の手を休め、封を切って中身を広げた。中には力強い文字で書かれた便箋が一枚入っていた。
「同じイニシャルの弁護士さんへ
裁判では色々とお世話になりました。そしてその間大変ご迷惑をおかけしてすみませんでした。僕は裁判を通して様々な事が今更ながらわかったような気がします。自分一人のためにこれだけ多くの人が動き、怒り、悲しみ、大変な事をしでかしてしまったという後悔は一層深くなりました。
先日父と母が一緒に面会に来てくれました。お互い他愛もないことを一言二言話しただけで大半は黙っていましたが、色々話しかけられても今は感情の高ぶりが大きくなってしまうかも知れないので、正直返って助かったという感じが強くありました。二人で面会に来てくれたことに関しては素直に嬉しかったのですが、気持ちに整理がつくまでもう少し時間と自分の成長が必要なのだと思います。
僕はこれから一生をかけて犯してしまった罪の大きさを償っていこうと思っています。ご遺族の方々には一生許してもらえないだろうけど、自分の考え得る最大限の誠意をもって謝罪し続けていこうと決心しています。それが僕の今後の人生の全てとなりそうですが、弁護士さん、僕がすべき事ややらなければいけない事、その他何かアドバイスがありましたらまた面倒を見てやってください。とりあえず今は刑務所の中で与えられた仕事や役割をこなし、一日も早く社会復帰、償いができるよう頑張りたい思います。
追伸
親父も弁護士さんもこんな僕のためにそれぞれの立場から最大限尽くしてくれた事は十分に感じ取りました。二人は僕にとってのヒーローです(カッコ良くはないけど)。本当にありがとうございました」
「最後は余計だ」
「はい?」
「いや、なんでもない」
苦笑いを浮かべながら私は手紙を机の引き出しにしまった。
正直に言おう。今回の手紙が嬉しかったのは嘘じゃない。しかし一方で私の中でドス黒い気持ちが鎌首をもたげていた。私の中で彼は永遠に悪役であるべきであったのだ。それも救いようもない程の!簡単に更生されては困るのだ。そうじゃなければ私の気持ちは敵を失い、憎むべき目標を失い、やるせなさが増すばかりだ。
無論敦君は洋子、梓を殺した少年ではない。しかし敦君が更生するという事は、その少年も、洋子、梓を殺したあの忌まわしい少年も更生する可能性があるという事だ。もしあいつを憎めなくなったら一体誰を憎めば良いのか?憎むべき相手が欲しい。私の心の砂漠にはドロドロとしたオイルが埋蔵しており、少しでも火を近づけると引火するようになっていた。
その事に気付いて私はハッとさせられた。脳天から脊髄を通って熱っぽい塊が通り抜けて行くような感覚に囚われた。結局私は救われなかったのだ。今回の裁判を通じてわかった真実。それは己の心に潜む負の感情であった。それは薄い正義という建前の殻に守られていて、一度破れるともう元には戻らなかった。その事に気付かされた時、私は弁護士を辞める決心をした・・・
それから数ヶ月が過ぎ、すっかり年も変わった2月のある日のこと。結局今まで法律一筋で生きてきた私はせめて刑法からは離れて弁理士専任という道を選んだ。そのたった3人の小さな所帯である私の新しい事務所に秋月君が訪れて来た。
「お久しぶりです。所長、お元気ですか?」
相変わらずの笑顔。変わらないということはこれ程にも人をホッとさせるものなのかと感じさせられた程であった。
「君の元気にはかなわないよ。皆も元気かい?」
「いやー、皆所長の事心配してますよー。急に辞めちゃうんですから。お陰でうちの事務所大変なんですよ?はい、これ差し入れです」
「皆には悪いと思ってるよ。本当にすまない」
言いながら差し入れの羊羹を受け取った。
私の身勝手さでかなりの迷惑をかけたのは重々承知している。しかしあのまま続けていたらもっと迷惑をかけたに違いない。私は自分の選んだ道が最良の選択であると信じていた。
「本当にすまないと思ってます?思っているならちょっと私に付き合ってください。今日は天気も良いですし、その辺でも散歩しませんか?」
「ん?あ、あぁ、それ位なら構わないが・・・」
辞めても秋月君のペースに振り回されるとは。やれやれ。手を引かれて立ち去る私を事務所の連中はポカンと見送った。彼らが色んな事に呆れているのは見て取れた。
私たち二人は近所に流れる大きな川の土手を歩いていた。春と呼ぶにはまだ早い季節ではあったが、陽が十分に差して暖かく、川沿いを歩くにもコートは要らない陽気であった。
「所長」
「所長はよしてくれ。もう私は所長じゃないんだから」
「だって今の事務所でも所長なんでしょ?」
「しかし君の所長ではないんだぞ」
つまらない会話をしながら土手を歩いた。しかしお陰で久しぶりに気が楽になったような気がした。いつまでも鬱屈してはいられない。私も自分のこれからの人生を見直さないと。少しだけ心に差し込んだ明るい希望を感じながら、そのまま土手を歩いていると仲良く話ながら歩く一組の老夫婦とすれ違った。その後ろからはどこかの子供が3人各々自転車に乗って、競争するかのように勢いよく通り過ぎて行った。
ただ叶うなら、ここの川沿いの土手を家族で散歩したり自転車で通り過ぎるだけで良い、そう思った。そんなに高望みの希望ではないはずだ。でも私にはもう、それすら叶えることができないのだ。
しかしいつまでもくよくよしてはいられない。私が幸せに生きていないと、天国にいる二人にとっても負担になるだろう。涙腺がやけに刺激されるのは暖冬の影響で早めにやってきた花粉症のせいに違いなかった・・・
・・・ところで判決の結果を知りたいと?いやいや、あなたもご存知のはずでしょう。新聞やテレビで散々報道された大きな事件だったのですから。もし本当にご存知ないのなら、今はインターネットで何でも調べる事ができますから、検索すればすぐにわかると思いますよ〈了〉
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