前回の顎関節症での手術話の続きです。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/joeshow/KA.Blog/20111222.html
手術前日の夜に麻酔担当医の方がやってきて「明日の手術は全身麻酔ですが何十万人に一人は麻酔で死んだり後遺症が残ったりします」という説明をしてビビらせてくれます(・・;)しかし無論麻酔無しで手術できないので、私はサインをして同意する他ありません。
そんなこんなで手術当日。全身麻酔をかけられ、気付いた時には無事手術は終了。人生で初めての手術でしたが、手術室に運ばれていく時も特に緊張しませんでした。どうせ全身麻酔だからわかりませんし。麻酔が効く前に手術室にTMNの曲が流れていたのが記憶の最後。こんなノリノリな感じの曲聞きながら手術するんかぇー・・・ぐぅ・・・。
やがて目が覚めると無事手術が終わったベッドの上。そして気付くとベッドの脇に母の顔が。えっ、母!?私は「別に命に関わる手術でも無いから、わざわざ富山から来なくて良い」と病院の名前も言わなかったのです。言ったら絶対見舞いに来ると言いそうですし。そんな母が何故ここに!?(××)
しかしよくよく思い出してみると、何週間か前に私何気なくふと病院名を口に出してしまった事がありました。でもその時母は全く無反応だったので
「しまった、ちょっと口が滑ったな。でもあんまり反応も無いし、よく聞こえなかったんかな?ならセーフ(;^_^A」
という具合でした。
ところが、うちの母は聞いていないようでしっかり聞き取り、覚えていたようなのです(××)手術前日に富山から電話がかかってきた時も「明日行くよ」なんて一言も言わなかったのに・・・( ̄Д ̄;;
しかも母は地図も読めないし、電車の乗り換えも一人でできません。東京の複雑な路線図を乗りこなすなんて無理なはず。なのに富山から東京までサプライズでやってきて、何とか板橋の帝京大学付属病院まで辿り着いたそうです。これで病院間違っていたら一体どうするつもりだったんだ!?(-。−;)
そして母は私を見舞うとそのままとんぼ返りで富山まで帰っていきました。私はベッドから身動きの取れない状態だったので、満足に見送る事もできませんでしたが、この時30近くになって改めて自分の母の恐ろしさを思い知ったのでした(-。−;)(まさかの越年で続く)