最後の言葉からの続きです。
結局、彼女との再会は果たせませんでした。亡くなったと聞いた途端に、10数年前に一緒に仕事していた当時のこと、仕事が立て込んでピンチの時も文句言わずに黙々と働いてくれていたこと、意見がぶつかり深夜にメールでケンカしたことなど、色々と頭に蘇りました。
私が退職した後に「まだ次の就職先が決まっていないなら、大阪チームの支援に2ヶ月だけ行ってくれ」と言われ、一時的に前職に復帰し、彼女のお陰で非常な好待遇で2ヶ月間仕事をさせてもらったことがありました。私の人生で一番仕事に恵まれた時期で、その時の恩をまだ返せていないのですが、そのまま彼女は旅立ちました。
後に共通の同僚から聞いた話では、彼女の正式な病名は「子宮平滑筋肉腫」という稀少ガンだったとのこと。ネットで調べてみると、子宮悪性腫瘍の中でわずか1%しかかからない非常に稀な病気。そして早期発見であっても 再発や転移を引き起こしやすく、5年後の生存率は15~35%なのだとか。
つまり1年前に彼女が私にコンタクトをとってきたのは、自分の余命が長く無いことを悟ったが故の、最後のお別れだったのでしょう。それが当時わかっていれば、もっと色々と・・・何かできたのでしょうか?
結果論ではあるのですが「セカンドオピニオンで色々と調べてもらってはどうか」とアドバイスしたのも、全く余計なことだったのではないか。実際、再手術となってお腹をもう一度開いて以降、彼女の体力は急速に消耗し、死期を早めてしまったように映りました。
がん患者へのアドバイスは非常に神経を使うことを承知していたのに、全く余計なことを言ってしまったと後悔の念にかられました。もっとも、私の一言で彼女が決断したと考えること自体おこがましいのですけれど。彼女の最後の決断は、彼女の確固たる意思によって行われたもの。私ごときの一言が左右するはずがない。だけれど、ほんのわずかでも背中を押したかも知れないと思ってしまい、慚愧の念に堪えないのです。(つづく)
結局、彼女との再会は果たせませんでした。亡くなったと聞いた途端に、10数年前に一緒に仕事していた当時のこと、仕事が立て込んでピンチの時も文句言わずに黙々と働いてくれていたこと、意見がぶつかり深夜にメールでケンカしたことなど、色々と頭に蘇りました。
私が退職した後に「まだ次の就職先が決まっていないなら、大阪チームの支援に2ヶ月だけ行ってくれ」と言われ、一時的に前職に復帰し、彼女のお陰で非常な好待遇で2ヶ月間仕事をさせてもらったことがありました。私の人生で一番仕事に恵まれた時期で、その時の恩をまだ返せていないのですが、そのまま彼女は旅立ちました。
後に共通の同僚から聞いた話では、彼女の正式な病名は「子宮平滑筋肉腫」という稀少ガンだったとのこと。ネットで調べてみると、子宮悪性腫瘍の中でわずか1%しかかからない非常に稀な病気。そして早期発見であっても 再発や転移を引き起こしやすく、5年後の生存率は15~35%なのだとか。
つまり1年前に彼女が私にコンタクトをとってきたのは、自分の余命が長く無いことを悟ったが故の、最後のお別れだったのでしょう。それが当時わかっていれば、もっと色々と・・・何かできたのでしょうか?
結果論ではあるのですが「セカンドオピニオンで色々と調べてもらってはどうか」とアドバイスしたのも、全く余計なことだったのではないか。実際、再手術となってお腹をもう一度開いて以降、彼女の体力は急速に消耗し、死期を早めてしまったように映りました。
がん患者へのアドバイスは非常に神経を使うことを承知していたのに、全く余計なことを言ってしまったと後悔の念にかられました。もっとも、私の一言で彼女が決断したと考えること自体おこがましいのですけれど。彼女の最後の決断は、彼女の確固たる意思によって行われたもの。私ごときの一言が左右するはずがない。だけれど、ほんのわずかでも背中を押したかも知れないと思ってしまい、慚愧の念に堪えないのです。(つづく)