KA.Blog

株式市場で気になる銘柄をピックアップして分析、検証していきます。主に中期~長期の投資で成果を上げ、値動きを追っていく予定です。株の他にも日常の話題やコーナーで綴っていき、むさくるしくない(?)ブログにしていきたいと思っています。

私的短編極小説

小説の日のみ読んでもらってる人には3週間ぶりのお久しぶりです。小説はちょっと正月休みモードに入ってました。そんな中「小説」ってことは「大説」もあるんじゃないかとふと小学生みたいな疑問を持ってしまいました(;^_^Aそもそも小説の「小」はどこからきているのでしょうか?

文章量が小さいから小説・・・とすると、長編小説は語句的に矛盾が生じてしまいます。個人的に思うのは、昔書かれた文学は公的に書かれた文章や物語が多く(例えば歴史の編纂とか)、市井の民が書くような文章は小さきもの、つまり謙遜の意味も込めて「小説」としたのではないかと推理します。

何か色々と調べてみましたが、何故「小」なのかという理由は結局はっきりせず謎のままです。もしわかる方がおられましたらご教示くださいm( _ _ )m

ちなみに大説という概念はやはりないようです。各々勝手に小説ではなく大説だというケースはあるみたいですが、市民権を得ていません。

まあ上記に書いたような私の概念が正解だとしたら、さしずめ私の小説は素人が書く「極小説」というジャンルになるのでしょうか。そんな極小説を書くだけでもヒーヒー言って書いてますが(;^_^A

そんな「極小説」ですが今年も宜しくお願い致しますm( _ _ )m短編のつもりで書いていましたが、どうもまだ終わりが見えてこないので困りものです。次回作を書くとしたら課題は構成力ですかね。

さて、前回までの分は昨年12月25日以前の日曜のブログを参照してください。


                      台風一過

第十八節 闇に蠢くものは

飯森山の麓にまで辿り着いた時には既に陽は翳ってきていた。見知らぬ土地で、しかも細い道であまりスピードが出せなかったため、案外時間を費やしてしまったが結果、作戦決行には都合の良い時間帯だ。藍に負けず劣らず状況を楽しめるようになってきた私は、子供の時代にタイムスリップしたような気になった。かくれんぼを真面目に壮大なスケールでやるようなものだ。しかも命がけで。

リュックタイプのバッグには必要最小限の食料と水、貴重品。袖の長いシャツと手には軍手をはめ、完全に陽が沈んだ事を確認した後、山を登りにかかる。懐中電灯も念のため所持品には加えたが、点灯しながら進むわけにはいかない。自分達の存在を喧伝する結果になってしまう。山道の入り口は既に抑えられているであろうから、木が生い茂っている地帯をできるだけ足音を立てないように侵入する。草や枝を踏んで音を出すのは避けたいが、気になったのは最初のうちだけだった。後になると一々そんなことを気にも止めずに前へ前へと進んで行く。そもそも暗闇で足元さえおぼつかないのに、草や枝を避けて通ることは不可能だった。

「蛇や猪、下手したら熊が出るかも知れない。気をつけろよ」
「熊や猪は怖いけど蛇なら大丈夫よ。大抵の蛇なら捕まえることができるわ」
「・・・」
そうだ、藍は爬虫類好きだということを忘れていた。かつては2m近い蛇を飼っていた事があるそうだが、今のマンションではペットが禁止のため断念していたそうだ。逆に私は蛇やトカゲが大の苦手だ。そもそも動物が苦手である。言葉の通じない相手にはどう接していいのかわからない。

頼りになるパートナーを背に私はどんどん進んで行った。視界を照らすのは月の明りだけで、今宵は満月。明るいのはまずいが、かといって真っ暗だと懐中電灯を使わざるを得なくなる。この程度が丁度良いのかもしれない。

数時間山の中を歩き、適度に休む。南からの風が少し強い。これは私たちにとって好都合だった。風で枝が揺れ、隣の枝と擦れ合う。そこから発せられる音により、私たちから生ずる音がかき消されるからだ。ただ、できれば北からの風ならば尚良かったのに。北側で待ちかまえている人間のさざめきが風下にいる私たちに聞こえ、かつ、私たちの出す音は風下に流れて、北側で待ち構えている人間に聞き取られずに済む。でもそれは欲張りというものか。風の音の方がうるさいくらいであったから、そこまで気にすることはないのかも知れない。

しばらくは山道が歩き辛いだけで、特に何の障害もなく進むことができた。1時間歩いては休み、1時間歩いては休み。ただ足が痛み、また思った以上の緊張状態で進んでいくわけだから、精神的な疲労も濃くなる。だが私たちは一人ではない。もし一人だったら果たして耐えられるだろうか?少なくとも私一人だったら途中で諦めて引き返しているだろう。

心理学の中に恋愛の吊り橋理論というものがある。見知らぬ男女が一緒に吊り橋の上を渡ると、揺れる吊り橋に恐怖を感じドキドキする。その吊り橋を渡る恐怖のドキドキ感が男女間の恋愛のドキドキ感であるかのように錯覚し、二人りは恋に落ちるというものだ。

残念ながら、この飯森山に吊り橋はないみたいだ。いずれにせよ既に恋人同士の二人にはあまり関係がない話でもある。だが暗闇と緊張感に神経は常に張りつめている。狼男のように高ぶる衝動をぐっとこらえて黙々と歩く。そんな様子が表に出ているのか、時々藍が不思議そうな顔で見つめる。

突然ガサガサッと音がして、思わず私たちは近くの木に陰を潜めた。よく目を凝らしてみると、人影らしきものが二つこちらに近づいてくる。よく見えないが輪郭や動きから、どうやら大人の男達のようで、形が同じようなお揃いの服装をしている。つまりは制服ということになるだろうが、警察や自衛隊のような制服ではないようだ。少しだけほっとしたが油断はできない。

東京で部屋に閉じこもっていた時に、インターネット上に散らばる情報を集めていた。噂によると、非感染地域に向けて突破できそうな境界線上のポイントや、実際に突破に成功した人間の体験談が書かれているサイトもあったが、真偽の程を確かめる前に閉鎖されていることがほとんどだった。

そういったサイトの中には現在警備をしている警察や自衛隊の装備について書かれているものもあった。境界線を侵犯する者にとって一番厄介な装置はサーモグラフィーだ。暗闇でも人間の体温によりはっきりと感知されてしまう。いくら真夏の夜だといっても山の中では結構な涼しさであるし、ましてやこの風だ。体温との差はくっきりと出てくる。

少なくとも現在近づいてきている彼らにはそういった近代的な装備はないようだ。一旦足を止め辺りを見渡している。どうやらこちらには気づいていないらしい。このままうまくやり過ごせるはずだ。

それにしても彼らは一体何の目的でこんな山の中を歩いているのであろうか?道に迷ったということはないだろう。そもそも敵なのか?ただ山頂から降りてきたであろうことを考えると、少なくとも同志ではない。非感染地域から感染地域へ危険を冒して突破して来る物好きはいないだろうし、服装からして何らかの仕事のために制服を着ているのであろう。いずれにせよわざわざ第三者に積極的に接触する必要性はない。

さらに二人は近づいてきているようだ。草を踏む足音が段々と近くなる。木陰で藍が私の体にギュッと寄り添う。私も抱きかかえる腕に思わず力が入る。ここまで来て見つかる訳にはいかない。

足音が3m程までの距離まで近づく。そこで再び立ち止まったようだ。また辺りを見渡しているのかも知れないが、最早様子を伺えるような距離ではない。今はただひたすら木陰に隠れて気づかれないように祈るだけだ。祈って救ってくれるのであれば、見知らぬロシア地方の神にだって祈りを捧げよう。

そんな浮気心が私を見守る神の怒りに触れたようだ。天罰が下される。突然頭上に柔らかくて重量感のあるものが降ってきた。ぬめるように動くこれは・・・

蛇だと気づいた時点でほとんど声を上げなかったのは私としては上出来だったと思う。藍は元々蛇に強いから、突然の出来事に驚きこそしたものの、恐怖はないようであった。だが蛇が頭の上でとぐろを巻いている彼氏の姿はあまりサマにならない。

しかし、枝から蛇が落ちた音により、二人の注意は一斉にこちらに集まってしまった。足音がすぐそこまで近づいてくる。足音と同じ位の大きさに聞こえたのは自分の鼓動か藍の鼓動なのかわからなかった。(つづく)