KA.Blog

株式市場で気になる銘柄をピックアップして分析、検証していきます。主に中期~長期の投資で成果を上げ、値動きを追っていく予定です。株の他にも日常の話題やコーナーで綴っていき、むさくるしくない(?)ブログにしていきたいと思っています。

パラサイトモンスター

今回の小説を書くにあたっては色々なサイトを勝手に参考にしていますが、日弁連のページはかなり参考になりました。

↓日本弁護士連合会HP
http://www.nichibenren.or.jp/

この中で色々な事件の聴取から少年事件の原因の最たるものは「家庭環境にある」という数字が出ています。それは確かに説得力のある話です。人生で一番接する時間が長いのが「家庭」であり、そこから受ける影響は甚大なはずですから。

一方、当然の事ながら、それが必ずしも必要十分条件となって犯罪に直結するとは限りません。つまり家庭内不和であったからといって犯罪を起こすとは限らないということです。私の周りにもしつけと家庭内暴力の境界線で育てられたという友人がいますが、至って普通の、何なら普通の人よりも良識のある人物に育っています。逆もよくある話ですね。家族を殺した少年の近所に住む人々が「あんな仲の良いご家族だったのに・・・」というインタビューもよくテレビで見るものです。ですから一概に当てはまらないという見方もできます。

そもそも犯罪を犯すような人間に育ってしまった根本の原因なんて当事者ですらわからないでしょうね。何か理由を見つけようとして「そういえば、子供の頃こんな事された」と親に責任転嫁しているケースも多いのかも知れません。もしそうだとしたら、当人にとってはとても不幸な話です。彼という存在は親という別の個によって形作られ、今後も親にパラサイトした状態でのみ存続するのが許されるわけですから。

さて、今日は日曜なので小説の日です。先週は筆者旅行のためお休みをいただきましたが、前回までの分は先々週以前の日曜のブログを参照してください。


                          正義のみかた

第七章 漆黒の中の記憶

母親の名前は谷岡(旧姓小山)静香。38歳。夫の雄三氏が勤め先の工事現場で左足に大怪我を負い、それを元に退職。リストラの嵐が容赦なく吹き荒れていた当時、再就職先はなかなか見つからず、育ち盛りの子供二人を抱えた一家は失業保険のみで食い繋ぐ生活に。そのうち蓄えを食いつぶし、消費者金融の返済に充てるために静香さんは夜の街へと繰り出す。

当座しのぎのためであったはずのその仕事は長く続けるべきではなかった。精神が擦り切れた静香さんは次第に酒に、別の男に溺れるようになる。家庭に戻れば子供に八つ当たりをする。物を投げつけ頭を数針縫う怪我を負わせた事もあった。子供さえいなければ新しい男と一からやり直せるはずだ。

雄三氏はそれを見て見ぬふりをしていた。一家の大黒柱としてはふがいない自分を責める事しかできない。無為無策に過ごす日々。子供たちの目線も次第に冷たいものに変わって行く。

やがて静香さんは蒸発。ある日仕事に出かけたっきり帰って来なくなった。幼い二人の子供を残して。雄三氏には送られて来た離婚届に印鑑を押して送り返す事しかできなかった・・・

敦君の両親に対する心境はどうなのか?雄三氏に聞いたこの状況ではおよそ愛情たっぷりに育てられたとは言い難い。母親には母親の言い分もあろうが、今は新しい家庭を持つ彼女の耳にも事件の話は届いているはずだ。しかし彼女からは何のリアクションもない。言い分の聞きようもなかった。

「うちのババァの事は関係ないだろ?他人なんだから!」
「でも若葉さんに狙いを定めたのはお母さんに似ていたからなんだろう?」
苦々しさを押し殺すように彼は応えた。
「・・・似ていたから無性に腹が立って復讐してやりたい気持ちになった。でもあの人はうちのババァじゃない。当たり前の事だけど。その時は自分が抑えられなかったというか・・・」

敦君の慚愧の念は消えかける語尾の中に伺えた。なるほど、原因は幼い頃の家庭環境に有り、か。よくある話だ。少年が凶悪犯罪を犯すケースの殆どは生育歴や家庭環境に問題がある。敦君の場合も例に漏れずといったところか。

幼児期に虐待を受けた子供は、自分が他人に暴力を振るう事に抵抗感を感じなくなる。何故自分だけその痛みを受け入れないといけないのか?その鬱憤のはけ口は自分より弱い者に向けられる。それは自分のみならず、周りをも不幸に陥れる負の連鎖だ。

一方、全く暴力を振るわれずに育った子供も他人に暴力を振るうケースがある。それは痛みがわからないからだ。どの程度までの暴力であれば許容され、どの程度の暴力になると一線を超えるのか?あるいは他人の命を奪ってしまう程の事態になるのか?それが自分で経験していないからわからないというケースもある。

例えるならこういう事になるか。ウィルスに感染すると風邪を引く。が、全く無菌状態だと風邪に対する抵抗力が生まれずに一度風邪を引くと治りが悪い。何事にもバランスが必要だ。教育もまた然り。

その後彼の定性的な性格を知るために何点か質問を続けた。これらは滞りなく概ね予定通りに進んだ。そして。

「最後に一つだけ聞かせて欲しい。殺した若葉母娘に対して申し訳ないとい気持ちはあるのかい?」
結局はこの質問の答えが彼の今後にとって重要となる。

たっぷりと時間を費やした後に言葉が奔流のように溢れ出てきた。
「・・・ある。できる事なら謝りたい。謝ってオレにできることなら何でもしたい。最初は殺すつもりなんてなかったんだ。本当だよ。信じてよ。ましてや赤ん坊まで・・・許しちゃもらえないだろうけど・・・」
そう語る敦君の目は充血し、眼には涙が溜まっていた。よし、彼には人の心がまだ残っている。そうでなくては私もこの先やり辛い。それは裁判で勝つために、というよりは私のために。

その後、今後の手続きの流れや大まかな日程、裁判や拘置されている間の心構え等必要な手ほどきを終え、予定時間ぴったりに私は接見室を出た。

この後間もなく敦君は少年鑑別所へと送られる。その間は観護措置として少年鑑別所で性格・資質、精神状態等を調べられる。一方少年事件の手続きは検察官から家庭裁判所に「送致」される事になるが、14歳以上の殺人事件となると間違いなく「逆送」ということで検察官に送り返される事になる。すなわち一般の刑事事件として裁判ということになるのだ。

実はそうなって初めて私の肩書きは「弁護人」となる。家庭裁判所での少年事件ではせいぜい「付添人」と呼ばれる。何だかかわいらしいもんだ。

福岡北警察署を出た私を待ち構えていたのはマスコミの白いストロボの連射だった。
「逮捕された少年から反省の弁は?」
「柿内弁護士自身はどう感じられているんですか?同じ犯罪の被害者として!」
「何故弁護を引き受けられたんですか?」
「柿内さん、何かコメントを!柿内さん!!」
私は一切のコメントを控え、停めてあるアリトへと向かった。折角待っていてもらったところ悪いが、現段階で何かをコメントするのは難しい。サービス精神がないわけではなく、私もまだはっきりと腹を決めかねているから。取り巻かれながら移動する様はさながら水族館で魚に餌を与えるダイバーのよう・・・ん?表現が秋月君に似てきたな。

マスコミを何とかやり過ごした後、私は被害者宅、つまり若葉さんの家に行ってみる事にした。現場検証は終わっているものの、倫理上からも裁判の相手方宅にお邪魔するわけには当然いかない。ただ外からだけでも現場の空気、できれば若葉さんのご主人の顔、表情を一度見ておきたかったというのが本音である。

遠巻きに家が見える位置に車を止め様子を伺う。しかしそう上手く若葉さんの外出のタイミングに居合わせるわけもない。家の中を覗き込みたい衝動に駆られていたが、そんなパパラッチじみた事できるわけもない。まして事件後マスコミに散々追い回された彼の心情がわからない私ではない。7年前の事を思い出せば尚更であった。結局私はそのまま車を走らせ、事務所へと戻った。

事務所に戻ると丁度夕方のニュース番組で若葉さんの事件が取り上げられていた。事務所の連中が皆仕事の手を休めてテレビに見入っている。やがて先ほど撮られた私の映像も流れた。取り巻く報道陣の質問を無視して無愛想にアリトに乗り込む私。それを見て秋月君が一言。
「所長、まるで水族館で魚に餌をやるダイバーみたいですね」