KA.Blog

株式市場で気になる銘柄をピックアップして分析、検証していきます。主に中期~長期の投資で成果を上げ、値動きを追っていく予定です。株の他にも日常の話題やコーナーで綴っていき、むさくるしくない(?)ブログにしていきたいと思っています。

STOP!!ザ・じ・さ・つ

フジテレビで教育の番組をやっているのを見ています。それに感化されたわけではないですが先日の履修不足問題に続き今日はいじめ問題について私の思うところを書いておこうと思います。

最近「いじめ」に関してよく耳にするようになりました。端を発したのは福岡のいじめ自殺問題。先生が生徒に対し言葉の暴力によるいじめを行ったという前代未聞の事件で、先生が謝罪。学校側はそれでもいじめの事実をなかなか認めないといったニュースでありました。それにしても福岡は最近飲酒事故やいじめ問題など、昔からあった問題を強く浮かび上がらせていますね。

で、福岡の事件に関して私の思うところ。まず教師であるくせに生徒に対して言葉の暴力を加えていた事。これはもう問題外であると言われていて確かにその通り。酌量の余地はないかも知れません。

ただ一方、私は先生の気持ちわかるなーというのが正直な感想です。もし自分が先生だったら同じ事が起こっていたかも。というのはその教師、テレビで報道されているように教職歴が長いベテランで、生徒には人気のあったということです。その教師に当然お会いした事もないし、授業は受けた事がないので想像の域は出ませんが、私は「毒を吐いて人気があった教師なのでは」と想定しているのです。お笑いタレントで例えば毒蝮三太夫さんや綾乃小路きみまろさんのように毒舌で主婦層の人気を獲得されている方も多いですが、それと同じようなものだったのではないでしょうか。つまり「客いじり」が「生徒いじめ」になったという事です。

上記の事を是認しているわけではない点は誤解しないでいただきたいですが、教師も一人の人間である以上、そのような誘惑に駆られて、つまりいじめている気は毛頭なく、しかも今までの教師生活ではそれで結構生徒には評判が良かった。今回結果的に最悪の事態になってしまったが、追い込むつもりはなかったというところではないでしょうか。

どうも報道を見ていると「けしからん教師だ」「どうしてこんな教師がいるのか」という面ばかりが主張されているようで、犯人が明らかですからマスコミも正義をもって糾弾している。非常に分かり易い構図に終始しているなーという印象です。

非常に分かり易いと言えば、いじめ自殺報道も分かり易過ぎです。というのも「いじめはよくない」「いじめはやめよう」の大合唱。例えば今日の番組でもこのテーマに関してはそんな感じの論調でした。当然道義上、弱い者を集団でよってたかっていじめるという行為は認められるわけではありません。

ここで私が「いじめ自殺」について思うこと。案外単純な考え方だとも思うのですが「いじめられて自殺する奴が一番悪い」という事です。実はコレ、丁度先日ダウンタウンの松本氏がラジオで言っていたのですが、私も「あぁ、一緒な事考えてる!」と思いました。それでちょっと自信が付きました。

これも誤解のないように。「いじめは悪くない」「いじめられる奴が悪い」と言っているわけではないです。いじめは悪い事ですし、いじめる奴が悪いと思っています。が、いじめられて自殺した瞬間に「悪い度」は自殺した側が上回ります。例えるなら世界各国から叩かれている北朝鮮が核を発射するようなものです。色々な点で悪い例えかも知れませんが、簡単に比喩するとそういう事です。

報道はいじめられた子に対する同情を求めます。自殺した行為を責める事はなく、むざむざ死に体に鞭を入れるような事はしません。いじめさえなければこの子は死なずに済んだのに。誰が悪い?いじめた生徒、それに気付かない先生、学校の対応・・・犯人探しに躍起です。マスコミもその辺を叩いておけば無難です。社会的に賛同は得られ、非難される事はないでしょう。だけどちょっと待って。辛いからと言って死ぬのは最大のレッドカードじゃないですか?

何故悪いのか?それはやはり色々な人に迷惑をかけたり悲しい思いをさせるからです。極々当然の事を言えば人間は一人で生きているわけではないからです。必ず人は人と繋がっているからです。

じゃあいじめられている人はどうすれば良いのか?残念ながら私にはそれの解決策は持ち合わせていません。誠に無責任ながら「それでもあなたは何とかして生き続けないといけない」と言うしかないです。

私は残念ながら戦争やいじめはこの世からなくならないと思います。例えば自分の身近に起きている争い事やいじめはその原因を探る事によって未然に防いだり解決したりすることができるかも知れません。しかし人の心のしくみを考えるとこの世から全く消す事はできません。であるならば、一人一人がそれでも強く生きていくしかないのです。

マスコミは影響力を持っています。マスコミの犯人探しは結局自殺を正当化します。つまり結果的に「自分が自殺する事によっていじめた奴はこういう社会制裁を受けるんだ」という事が、自殺を寸前で思いとどまっている子供の背中を押す事に繋がっているのです。現にいじめ自殺が連日で報道され、ついには自殺予告文章が次々と送られてくる騒ぎとなっています。

つまりこういった報道や論調が結局は誰のためにもなっていないのです。でも別にこの論調が間違っているというわけではないのです。いじめが悪いのはわかりました。じゃあいじめられて自殺された方は悪くないんですか?この事を皆考えないのが問題なのです。この問いかけが議論されないと、変に自殺する勇気や大義名分を貰ってしまった次の犠牲者が出るだけです。

人間はあらゆる組織に属します。それは家庭や学校や職場や地域、国。しかし少なくとも何年か我慢すればその組織から逃げ出す事は可能なのです。いじめられても耐え抜き生きていこうとする勇気。それをもっと伝えるべきではないでしょうか?少なくとも私はそう考えています。