ようやく去年の冬のニューヨーク話も無事終わりましたが、それから一年経ったところで人生でも大きな出来事がありました。それが8月20日の父の死です。先日ようやく四十九日と納骨が終わり、一区切り付きました。ちょっと個人的な記録の意味合いなどもあって、今度はしばらく父の話にお付き合いください。
まず時系列として10年前に遡ります。丁度このブログを開始した年の冬のことになりますが、当時私は東京で証券各社に勤めていまして、ある日実家の母から電話がありました。「お父さんが雪で転んで頭を打って、手術をしなければいけなくなった」とのこと。結局2度手術をして、父の命には別状が無かったものの、術後に高次脳機能障害と診断されました。
当時71歳だった父は以来ずっとベッドの上で暮らすことに。間もなく老健施設に移ると、食事の時だけは車いすに移乗させてもらって食べ、それ以外の大半はベッドで寝てテレビをずっと見ているだけという生活が続いていました。年老いた母一人に父の面倒を任せるのは酷だということで私も証券会社を辞し、地元で試行錯誤しながら結局自宅でもできる現在の仕事にたどり着いています。
父は極めて異例でもありますが、同じ老健施設に10年置いてもらうことができました。その間、私は父が寝たきりだと残りの人生面白く無いだろうと思い、連日施設に通いながら何とか父の身体を持ち上げて支えながら立たせていると、多少筋肉を取り戻し、やがて歩行器を使いながらであれば数十メートル程度歩くことができるようになりました。
その後も何とか家に戻って生活したいと、施設の方でリハビリを続けていました。結果、一時期は夏の間だけ自宅に戻って暮らすということも出来たのですが、10年の間でわずかに二夏だけ。今度は母が心臓のバイパス手術を受けて身体が弱ってしまい、家で父の介護ができなくなってしまいした。
そうなると父もリハビリの目標を失うと言いますか。次第に歩く距離も減ってきて、スピードも遅くなり。遂に足が痛いと言って歩かなくなったのが昨年の秋頃。それから加速度的に父は弱っていきました。
精神的にも参ったようで、鬱病に近い状態になり、何事にも反応も鈍くなりました。今までは介護士さん一人の介助があれば車いすへの移乗もトイレも出来たのですが、二人がかりでの世話が必要になり、車いすもより介護が必要な人のものに。当初3だった介護度も、遂には最大の5にまで引き上げられてしまいました。
そんな状態ですから、次第にご飯も喉を通らなくなり。1時間半ほどかけてご飯を食べ、痰も詰まりがちになって、自分でなかなか痰を切ることができなくなってきました。歩けなくなってからわずか半年ほどで急速に弱っていく父を見て、つくづく「歩く」ことは人間にとって大切なことなのだと思い知らされました。
患者の痰が詰まった時、病院など医療機関では細長いノズルで痰を吸引します。ただ老健なので一般の介護士にはそれができません。ですから父は10年近く置いてもらって在籍期間では最長老でしたが、その老健では遂に面倒が見きれなくなり、特養施設に移ることになりました。それが5月の終わりのことでした。(つづく)
まず時系列として10年前に遡ります。丁度このブログを開始した年の冬のことになりますが、当時私は東京で証券各社に勤めていまして、ある日実家の母から電話がありました。「お父さんが雪で転んで頭を打って、手術をしなければいけなくなった」とのこと。結局2度手術をして、父の命には別状が無かったものの、術後に高次脳機能障害と診断されました。
当時71歳だった父は以来ずっとベッドの上で暮らすことに。間もなく老健施設に移ると、食事の時だけは車いすに移乗させてもらって食べ、それ以外の大半はベッドで寝てテレビをずっと見ているだけという生活が続いていました。年老いた母一人に父の面倒を任せるのは酷だということで私も証券会社を辞し、地元で試行錯誤しながら結局自宅でもできる現在の仕事にたどり着いています。
父は極めて異例でもありますが、同じ老健施設に10年置いてもらうことができました。その間、私は父が寝たきりだと残りの人生面白く無いだろうと思い、連日施設に通いながら何とか父の身体を持ち上げて支えながら立たせていると、多少筋肉を取り戻し、やがて歩行器を使いながらであれば数十メートル程度歩くことができるようになりました。
その後も何とか家に戻って生活したいと、施設の方でリハビリを続けていました。結果、一時期は夏の間だけ自宅に戻って暮らすということも出来たのですが、10年の間でわずかに二夏だけ。今度は母が心臓のバイパス手術を受けて身体が弱ってしまい、家で父の介護ができなくなってしまいした。
そうなると父もリハビリの目標を失うと言いますか。次第に歩く距離も減ってきて、スピードも遅くなり。遂に足が痛いと言って歩かなくなったのが昨年の秋頃。それから加速度的に父は弱っていきました。
精神的にも参ったようで、鬱病に近い状態になり、何事にも反応も鈍くなりました。今までは介護士さん一人の介助があれば車いすへの移乗もトイレも出来たのですが、二人がかりでの世話が必要になり、車いすもより介護が必要な人のものに。当初3だった介護度も、遂には最大の5にまで引き上げられてしまいました。
そんな状態ですから、次第にご飯も喉を通らなくなり。1時間半ほどかけてご飯を食べ、痰も詰まりがちになって、自分でなかなか痰を切ることができなくなってきました。歩けなくなってからわずか半年ほどで急速に弱っていく父を見て、つくづく「歩く」ことは人間にとって大切なことなのだと思い知らされました。
患者の痰が詰まった時、病院など医療機関では細長いノズルで痰を吸引します。ただ老健なので一般の介護士にはそれができません。ですから父は10年近く置いてもらって在籍期間では最長老でしたが、その老健では遂に面倒が見きれなくなり、特養施設に移ることになりました。それが5月の終わりのことでした。(つづく)