KA.Blog

株式市場で気になる銘柄をピックアップして分析、検証していきます。主に中期~長期の投資で成果を上げ、値動きを追っていく予定です。株の他にも日常の話題やコーナーで綴っていき、むさくるしくない(?)ブログにしていきたいと思っています。

辞世の句

先週の金曜は普通に会社で仕事をしていました。すると昼頃に母からメールが。毎日の父の容態報告メールだと思ったら「叔母さん(父の姉)が亡くなった」との内容でした。休憩時間に実家に電話をして確認し、急遽また実家に帰ることに。実に2週間ぶりの帰郷となったのでした。

年齢的には87とのことで既に随分いっていたので、正直いつお迎えが来てもおかしくない状態でした。しかし2週間前も父の見舞いに来てくれて元気な姿を見ていたので、やっぱり驚きでした。

死因は風呂場での心筋梗塞。私のいとこにあたる息子さんはいつも通り風呂場の母親に「早く上がれよ」と声をかけたそうです。すると「うるさいこと言わずに早く寝なさい」と言われたとのこと。そのまま息子さんは2階に上がって寝たそうです。

次の日の朝。息子さんは母が寝室にも台所にもいないことに気づいて家中を探し回った結果、風呂場で冷たくなっている母親を発見したとのことです。

実はつい先日のことなのですが、私の会社の同僚が全く同じ状況で帰省していました。すなわち「叔母さんが風呂場で心筋梗塞で突然亡くなった」とのこと。奇妙な偶然にそら恐ろしく感じた程でした。

うちの父は4人兄弟なのですが、今回初めて兄弟を亡くしてしまいました。特に父はまだ脳の状態が完全に回復していない状況です。最初息子さんはうちの父がこのような状態なので、私の家には知らせないようにしようとしていたそうですが、やはり勝手に葬式を上げて勝手に終わらせてしまうのは忍びなく、結局は教えてくれました。

父は今6割程度まで回復してきていて、こちらの言葉も理解できるようになっていました。理解できるようになって知らされたのが姉の死。まだ歩くことができず、立ち上がることすらできない父は「喪服持ってきて」と母に言ったそうでした。

父の代理という重責を担って私は葬儀に参列しました。小学生時代一緒に遊んだ叔母のお孫さんとも久しぶりに再会しました。ちなみに父と叔母さん、私と父の間にはかなり年の開きがあるため、叔母さんのお孫さんでも私より年上だったりします。

私は正直一年に一度しか叔母さんに会うことはなく、年齢的にも天寿と言える年齢だったので、突然の悲報に衝撃は受けたものの、それ程悲しいとは思いませんでした。どちらかと言えば父の事故の方が10倍位ショックだったというのが本音です。

葬儀にはたくさんの方が駆けつけてくれました。親戚一同は勿論のこと、叔母は俳句の会で俳句を詠んでいたようで、その会の方も多数。友人代表の弔辞も読み上げておられました。

葬式自体は滞りなく終わり、最後に棺を運び出す段階です。突然お孫さんが大泣きし、それにつられるような形で息子さん、そして私も涙が出てきました。正直意外でした。お孫さんが泣くのも私が泣くのも。どちらもほとんど叔母さんと顔を合わせることなく、疎遠な状態でしたから、情が湧くというよりは2度と会えなくなるという事実がふいに悲しくなったんだと思います。

その後火葬場まで向かいました。火葬場は私の住んでいる市には一ヶ所しかなく、親類が亡くなる度に訪れています。私の祖母、姉の義父、そして今回で3度目です。実は私の家の近所にあり、中学校に通う時には毎日のように通った場所です。しかし何気に通るのと葬儀で来るのとは訳が違います。喪服を着て来る時はやはり気が滅入ってしまいます。

係の方が手際よく棺を焼却炉まで運んでくれます。向こうは勿論仕事であり、今更何の感情もないでしょうが、一方その手際良さに救われる面もあります。焼却炉前でやはり淡々と説明があり、棺は炉の中へあっけなくくべられて行きました。そこで遺族はまたお別れの涙です。あの瞬間はやはり忘れられない瞬間です。どの葬儀の情景も私の頭の中には今でも蘇ります。

残念ながら煙突から煙が立ち上る前に私たちは火葬場を一旦離れました。その後数時間後に戻ってきた時には骨壺に収まる量の骨しか残っていませんでした。そこにある骨は完全にもう何かの物体でした。遺体も人形のようなものですが、やはり骨になってしまうともう完全に故人とは決別しているような状態です。その後の初七日の供養も単なる儀式的なものです。不思議なものです。

実はご主人の方はまだ存命されておりますが、老人性結核を患っているということで、家族も面会できないような病棟に隔離されて入院させられており、今回の事実を未だ知らせていないそうです。正直な話、ご主人の方が本来は先にお迎えがきそうな状態だとのことで、家族の意向によりこの事実は知らせないままにしておこうという事になっているそうです。

息子さんは母親と二人暮らしの状態でした。その母が亡くなった家はただ広く、亡くなった風呂は何度洗っても悲しさや辛さが取れないとのことでした。

謹んで心からご冥福をお祈り致します。

最後に叔母さんが詠んだ句として友人代表の方が紹介された句を記します。
「わらび餅 百才までは 食べられじ」
「我の手の 冷たき友を 驚かす」