先日、嫁のご両親が北陸新幹線に乗って富山に遊びにこられたので、皆で五箇山に観光に行ってきました私は6年前に五箇山に行ったきりで久しぶりですちなみに当時の様子は「五箇山は豪華やまー」で検索すると出てくると思うので、また見てやってください
それで6年前と比べて五箇山が近代化・・・していたら世界遺産にも何もならないわけでして、特に変化はありませんでしたただ、やはり観光客は外国人の方が増えていました比率としてはまだ日本人の方が多かったですが、西洋系の方を特に良く見ました逆にアジア系の方はおられず、日本の観光地も色々と棲み分けされているのだなぁと。中には京都でレンタカーを借りてここまで足を運んだ外国人の方もおられました
まず我々は相倉合掌集落へと向かいました6年前に行った時は天気がどんよりとしていたのですが、今回は見事な秋晴れでした日差しが強くてサングラスを忘れたことを後悔たださすがに風は冷たいので、風邪を引かないような格好で行く必要はありますね
早速まずは「相倉民族館」に行きますそこは実際の合掌造りの建物を利用した資料館で、昔の五箇山の生活を示す様々なアイテムが展示されていました。管理人の方が色々説明をしてくださいます
合掌造りは大抵2,3階建てになっていますが、屋根裏の階上では蚕を飼っていて、繭を生産します。山間で農業が難しい中でも年貢を納める必要があったので、この養蚕業が盛んでした。そして冬に蚕が冬眠モードに入っている間は、紙すきで紙を作る時期に替わります蚕卵紙という蚕の卵を産み付けた紙は、それを別の養蚕家が買って孵化させる用途で使われるため高値で取引されているということで(つまり卵の売買)、どこでもセットで行われている産業のようですね。
あともう一つ、合掌造りの床下から産出される塩硝は、鉄砲などの火薬の用途に使われますが、特に蚕の糞から出来上がる高品質の塩硝は、外様でこっそり軍備を整える加賀藩でも特に重宝されたのだとか
同じ合掌造りで同時に世界遺産登録されている白川郷は天領(幕府の直轄地)になったものの、こういった事情からむしろ罪人の流刑地もある五箇山の方が生活水準が上だったとか。加賀百万石を象徴するように贅沢が出来て、囲炉裏も自在鉤を使って上から吊すことができたとのこと。一方、白川郷の囲炉裏は五徳で下から釜を支える方式になっているということでした。なんで自在鉤の方が贅沢なのかはちょっとわかりません(自在鉤の方が鉄をいっぱい使うから?)(つづく)