防衛大学校話の続きです。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/joeshow/KA.Blog/20210504.html
後日、全学生が制服を着て正装し、手には白手をはめて本館から正門にかけてまっすぐ伸びる道に整列しました。先に靖国神社を参拝した時と同じ礼装です。彼の遺体を乗せた霊柩車を見送るために。
通過する際に我々は脱帽し「45度の敬礼」をします。普段、帽子を被っていない時には腰から10度だけ前に倒す「10度の敬礼」が基本。しかし「45度の敬礼」とはより深くお辞儀をする最敬礼。天皇陛下と死者にのみ実施します。本当に残念なことに、私の人生で45度の敬礼を行ったのはこの一回のみ。
↓隊員の棺に対する敬礼は以下の「隊員の棺に対する敬礼」が第40条で定められています。
http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/b_fd/1961/by19620129_00003_000.pdf
全学生が45度の敬礼で見送る前を霊柩車が通り抜けていきます。通過後、敬礼を解き、最後は全員で制帽を掲げて振る「帽振れ」で見送ります。
その際、霊柩車に同乗していた彼のお祖母ちゃんが目をハンカチで押さえながら嗚咽し、震えながら泣いているのが見えました。そしてそのまま霊柩車は正門から外に出て行きました。これは本当に今も思い出す度に胸がグッと締め付けられるシーンで、鮮明に焼き付いています。孫は防衛大学校に入らなければ、死ぬことは無かったのに。こんな形で送り出される事は無かったのに。
あるいは自分を責めているかも知れません。自分はもっと孫にしてやれることはなかったのか、もっと話を聞いてやることはできなかったのか。恐らく防衛大学校に入る時、彼は誇らしげに将来像を語り、お祖母ちゃんも逞しくなったように見えた孫の姿を嬉しく思ったのではないでしょうか。それが1年も経たないうちにこんな姿になって戻ってきてしまった・・・。
繰り返しになりますが、私は彼がどういう人物像で、どういう家庭環境で、そして何が原因でこうなってしまったのか知る由もありません。しかし恐らく70年も80年も人生経験のあるお祖母ちゃんの感情を、ここまで激しく揺さぶる悲しい出来事が起こってしまった。
この責任が防衛大学校にあるのは間違い無く、私は同じ組織に所属しているだけなのに何か罪深いものを感じてしまった出来事でした。決してこのようなことを起こしてはいけません。
私自身は辛い日々の精神安定剤として毎日課業の休み時間に「日記」を書いていました。まあ日記といえる程大した話ではなく、一行程度「今日は○○があってどうだった」と書くくらいです。そんなに書いている時間も無いですからね。ただ「進め電波少年」でヒッチハイクをした猿岩石がそれをやることで精神安定を保ったという話もあって続けていました。今それがどこに行ったのかわかりませんが。(つづく)