KA.Blog

株式市場で気になる銘柄をピックアップして分析、検証していきます。主に中期~長期の投資で成果を上げ、値動きを追っていく予定です。株の他にも日常の話題やコーナーで綴っていき、むさくるしくない(?)ブログにしていきたいと思っています。

枯れざくら~昔の防衛大学校物語 任官拒否

いよいよ佳境の防衛大学校話の続きです。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/joeshow/KA.Blog/20210504.html

最後にどうしても避けて通れない話が、学生の任官拒否の話。例年大なり小なり任官拒否者が発生し、毎年平均して30~40人が卒業と同時に下野します。卒業時は400人強くらいの学生が在籍しているので、1割弱という計算になるでしょうか。そして毎年新聞各紙に卒業式の記事に合わせご丁寧に「今年は○○人任官拒否した」などと書かれてしまいます。

この数字は非常に現実的に、世の中の景気動向とリンクします。話によると、バブルの色彩残る91年は過去最多94人の任官拒否が出たということですが、以降はグッと減ります。特に私の期は就職氷河期だったこともあり、20人くらいだったと記憶しています。3学年の後半辺りから、内輪でもそういった話がチラホラ出始めます。一般の大学ならば就職活動している時期ですから。

ここから先はあくまで私が在籍していた大昔の話。今は時代の流れもあってどうなのかはわかりませんので予めご承知置きを

とにかくこの話は当然非常にナイーブな話。指導官の耳に入ろうものならば、すぐに呼び出しを受けて尋問されます。そしてもしそういうつもりなら「今すぐ辞めろ」と圧力がかかります。実際、就職活動を始めていたことがバレた私の最初の同部屋D君は、3学年の終わり頃に退校させられました(あくまで自主退校という形)。任官拒否は世間体も悪く、指導官の評価にも響いてくるのでしょう。

企業名の入った封筒が学生宛に届けられようものならば、封筒を開けられて検閲されたりもする模様。一度封を剥がした跡があったという話も聞きました。まあ今はネットでしょうけれど、当時はスマホなんて無かったですし、まだメールすら黎明期。独自のメアドは防大ドメインでしたし、こちらも検閲されていた模様。

4学年になって秋頃になると、指導官との面談が各人毎行われます。そこで最終的な意思確認となります。実は私も当時は「このまま任官して良いのか」と悩んでいました。別に他に何かやりたいことがあったわけでも無いのですが、これまで書いてきたように私は「出来ていない」学生だったので、リーダーシップを取れるような幹部自衛官の資質があるのかどうか甚だ疑問でした

そういうことを口にすると、やはり「辞めるなら今すぐ辞めろ。卒業まで引っ張るな」と言われ鼻白んだこともあり、私は消去法的に任官することにしました。一方「学生と違って現場に出てみれば、新しい可能性が開けるかも知れない」と前向きな気持ちも持ち合わせてはいました。やってみてダメならいつでも辞めれば良いだけだ、と。この精神も防大4年間で培われたものではあります。

ちなみに越年してまで悩んでいたので、本来次のステップである江田島幹部候補生学校の下宿を早く押さえないといけないのですが、あまり良い物件が残って居らず。制服を販売している業者の方が「うちで良ければ空いているよ」ということで、そこにもたもたしていた他の二人とお世話になりました。(つづく)