KA.Blog

株式市場で気になる銘柄をピックアップして分析、検証していきます。主に中期~長期の投資で成果を上げ、値動きを追っていく予定です。株の他にも日常の話題やコーナーで綴っていき、むさくるしくない(?)ブログにしていきたいと思っています。

満足と不満の狭間

パラレルワールドという言葉があります。自分が今生活している世界と別に並行して存在している世界を表わすSF的な造語ですが、そこにいる自分は現実の自分とは違う自分がいるかも知れません。ひょっとしたらスーパーヒーローになっているかも知れませんし、ものすごく落ちぶれているかも知れません。

皆さんは今の生活に満足されていますか?もしパラレルワールドが存在するなら行ってみたいですか?大半の人はもう少しココがこうなれば・・・等と不満を感じていることだと思います。もしあの時こうしていれば・・・という「たられば」もあるかも知れないですね。かくいう私も現実にはまだまだ不満たっぷりです。

ですが、不満がある位が丁度良いのかも知れないですね。不満を解消するために人は頑張り、モチベーションとなるわけですから。全てが満たされてしまうとそもそも何もやる気が出ませんしね。欲張りなのは困りものですが、欲がないと人間生きていけませんし。そのバランスがまた難しいものなんですけど。

さて、今日は日曜なので小説の日です。過去の分は毎週日曜のブログを参照してください。

    
                         台風一過

第二十一章 リアルパラレルワールド

それから1週間近く経った。カレンダーも一枚めくられ9月に入った。まるで何事もなかったかのように仕事も始まり、人々の生活も動き出す。物流もある程度元に戻り、閉まっていた店も開き、子供は学校に行き、主人は会社へと向かう。以前まで会社や学校を嫌っていた人々も無くなってみると意外に寂しいものだと思い知らされたようだ。私も今まで通り会社に出社するようになり、藍も自分のマンションへと戻っていった。だがそれはウィルスが完全に消滅したわけでもワクチンが完成したからでもない。単に人々が「慣れ」てきただけのことだ。

エイズやエボラ出血熱といった感染症は世界に蔓延し、未だ効果的な治療法は見つかっていないし拡大を続けている。しかし人は人と交流することを止めようとしないし止められはしない。かつてテレビでは酸性雨の危険性、水は将来飲めなくなるといった警告を視聴者に与えてきたが、しばらく経ってどうか?人の記憶は風化し、誰も雨に打たれて髪が抜け落ちる心配はしなくなった。つまりはそういうことだ。一時のパニックが過ぎればまた普段通りの生活が戻る。

だが現実的にウィルスにより攻撃的な本能を刺激され続けている人々は大量に存在し、そしてその数は今も増え続けている。鉄道は相変わらず運行再開の目処は立たずにいるし、分単位で離着陸を繰り返していた羽田、成田両空港においても、管制官達はその才能を飼い殺している。日本の株式市場も落ち着きを取り戻し、製薬会社の株価は連日高値を更新中だ。

今まで通りの生活と、今までになかった生活が奇妙にねじれ合って併存している。今は数百mに一人の割合で警官が常駐する態勢だ。何か事件が発生した場合、その発生地点の4方向に配置された警官が取り囲むように発生地点へ急行する。逆に治安は良くなった程かも知れない。

街中で時々被感染者の疑いが強い人間が散見されるようになっている。しかしそれはまるでホームレスを見るかのように、人々は次第に無関心となっていった。近寄らないようにすれば良いだけの話だと思っている。私も目が血走った人を見かけると、すかさず5mは離れるようにしている。お陰で最近目が良くなってきた気がする。

巷では最近「K=Aウィルスキャリアの人権を擁護する会」というものが発足し、政府はキャリアを単にキャリアだからという理由で射殺することはできなくなった。何かノンキャリアやノンキャリアの財産に危害を加える行為が認められないと、安易に発砲することは禁じられている。治安を維持する側にとってみれば厄介な風潮であったが、それをバックアップするのは野党最大勢力の主民党であった。

主民党にしてみれば与党である民自党を攻撃する格好の材料で、今までの強硬手段を徹底的に非難追求するつもりであった。人権を守る上では当然のことであるが、キャリアに殺された遺族からは強い反発もあり、容易に結論の出るような問題ではなかった。

平井は行方不明だと言う。会社には連絡もないし、勿論家族からの連絡も来ない。射殺されたか保健所で手足を縛られ、アレコレ様々な薬を投与されているのかも知れない。しかし保健所も急な拡張はできず、受け入れを拒否する病院がほとんどであったため、後者に数えられる人数は前者の人数よりはるかに少ない。平井は思い出の中だけで語られる人物となったと考えて良いだろう。

今朝も私は朝6時には起きてスクーター通勤だ。世間ではスクーター通勤が主流になっている。車だと渋滞に巻き込まれてなかなか身動きが取れないからだ。道路上はさながら中国での自転車のようにスクーターが溢れかえっている。お陰でスクーターが飛ぶように売れている。

新しいスクーターは品切れになる前に何とか買うことができた。何となく以前藍と一緒に旅をした時と同じ型のものを選んだ。結局は乗り慣れているというのが一番の理由だ。ただし電車で通うのと1時間近く差が出るため、往復で計2時間分睡眠時間を削り取られることになってしまった。燃料費も原油価格が高騰しているこのご時世、バカにならない。

帰ってきてから毎日のように電話をかけてきた藍も最近はめっきり連絡がなくなった。彼女は出社する気は当分ないらしい。「足」がないのも理由の一つだろうが、あれ以来精神的に不安定でとても仕事という気分ではないらしい。

最初の内は相談に乗っていた私も、最近は私自身の仕事疲れから次第にこちらから連絡する気にならなくなった。今まで仕事をさぼっていた分、かなりの量が溜まっている。家に帰れない日も珍しくない。そもそも電車が動いていないため、週末まで帰らない方が楽で良い位だ。そういった理由で会社に寝泊まりする「会社族」が最近急増している。今年の流行語大賞にノミネートされるに違いない。

今日は全国的に曇り空のようで、部屋を出ると朝だというのに少し薄暗い。まだ夏の暑さは残っているから、多少陰ってくれる方が有り難い。部屋を出ると南風とカラスのけたたましい鳴き声が「いってらっしゃい」と言わんばかりに私に吹き付ける。最近この辺りに何故だかカラスが多い。死体が近くにあるということだろう。そういうことも感じるようになっていた。

死体の腐臭がどんな臭いかわかるようになっていた。実際に目撃したこともあるからだ。保健所が来てくれるのは1週間程後になるらしい。火葬場の煙突も24時間煙が止まることがない。彼らもかなりの超過労働となっているようだ。彼らが引き取りに来てくれるまで、近所の人はホームセンターで防腐剤を買ってきて、死体に散布している。

一歩外に出ると今までとは違う現実世界だ。部屋に入ってテレビを付けると今まで通り人気お笑いタレントが面白企画でお茶の間に笑いを届けているし、恋愛ドラマでは今流行りの俳優陣がテレビの前のOL達を涙ぐませている。「何だこの感覚は?」と、ふと思ってしまうことがあるが、皆もやはりそうなのだろうか?変わらないのはテレビの中の虚像の世界だけで、もう元の日常的な生活は帰って来ないのだろうか?この「ねじれ」を「慣れ」により日常化してしまうことが何よりも怖く感じられた。(つづく)