日曜は小説の日としていますが、また一週間が空いてしまいました(-。−;)それでも何とか第二回も無事にお届けです(;^_^A
7/15の第一回を読まれてどのような感想をお持ちでしょうか?
ほぼ全員「わけわからん」という感想をお持ちだと思います(・・;)
まあ私も何でこんなものを書こうと思ったのかわからんって位ですから(;^_^A
アイロニーやコメディーの一環として捉えていただければ結構です。
まあたまにはこんなのもアリかな・・・と思っていただける方がおられましたらこれ幸いと。
あと1回だけ何卒お付き合い宜しくお願い致しますm( _ _ )mペコリ
世界の終わり 中
一夜が明け、私は昨日の妄想の事など一旦頭の片隅に追いやって、普段の自分の生活を続けた。朝起きて朝食を食べ会社に行き、仕事をして帰ってきて少しテレビを見たり本を読んで寝る。次の日も朝起きて朝食を食べ会社に行き、仕事をして帰ってきて少しテレビを見たり本を読んで寝るだろう。そう言えば昨日も朝起きて朝食を食べ会社に行き、仕事をして帰ってきて少しテレビを見たり本を読んで寝た。
これらの行為の中には「世界の破滅」の糸口はない。もしこれらの行為の中に「世界が破滅するための条件」が含まれているのであれば、とっくの昔に(私の手によって)世界は崩壊しているのだ・・・あぁ、片隅に追いやったクセに、また昨日と同じメビウスの輪にはまりこんだようだ。丁度眠れない時に考えて余計眠れなくなる、そういった質の悪いムシの類だ。
こうなったらとことん付き合うしかない。自分なりに何らかの結論が出るまで考えてみるか。昔からこういう性格だ。一旦始めたコレクションは全て集めないと気が済まない。横断歩道は白い部分を踏んで進まないと気が済まない。缶に入っている「プチプチ」は全て潰しきらないと気が済まない・・・これを「神経質」とは言って欲しくない。「完璧主義」と言って欲しいのだ。
ところでふと思い至った事がある。原子力が発見される随分昔から存在する「連鎖性の破壊的なもの」の一番典型的な例は「火」だ。火は燃えるために必要な物、つまり酸素と可燃物があればどんどん燃え広がる。そう考えると太古の昔は鬱蒼と植物が生い茂る大自然だったわけだが、初めて火を起こした人類が植物に火をつけると、たちまち火は燃え広がって山火事になり、果ては世界中火の海に包み込まれたのではないだろうか?規模が大きくなると多少の雨では消えやしない。世界は一面焼け野原になって少なくとも陸続きの地面は全て焼失、生命は水中にしか存在しなかったより太古の時代に戻ったのではないだろうか?やはり世界が今まで存在し得ているのは偶然の中の偶然の積み重ねで、昔からたまたま絶妙なバランスの上にギリギリ成立し続けている脆い存在なのだろうか?
しかしそれに対する答えは既に持ち合わせている。火そのものが発生させる熱によって風が生じ、暖気が寒気を呼び込む事でそれ以上の火の侵攻を妨げ、燃え尽くされた不燃物側に火が押し返されるからだ。可燃物に引火できなければそれ以上奴らがその仲間を増やす事はない。それ故、一定量の延焼で自然鎮火していたのだ。そうでなければたった一人の不注意で、とっくの昔に全人類、いや、地上の全ての生命体は焼死していただろう。
完全な破滅の連鎖はそれだけ難しいのだ。ならば余計に「連鎖のきっかけ」を考えるのは興味深く、そして面白くなる。それがしょうもない、つまらない事がきっかけであるなら尚更だ。よし、もう一度考えていこうか。「とてつもなくつまらないきっかけ」を。
例えばひらがなの50音表を「あきすてのはみゆれを」と「あ行」から斜め読みしてそれから・・・ダメダメ。これだと日本人にしかできない行為だ。条件をもっと厳しく設定して「国籍や人種、老若男女問わず、基本的にやろうと思えばできる行為」である事を前提にしなければならない。そうでないとそれは「日本人の都合によって作られた、日本人のための世界の終わりの条件」となってしまうからだ。
例えば冷凍庫の中に電子レンジを入れて過熱と冷却を同時に行うとか、買ったばかりのダイヤとダイヤを音速に近い速度で衝突させてみるとか、歩く時は必ず右足で地面を2回蹴ってから左足を出すとか・・・
今流行りのブレーンストーミングってやつに似ているかな?会議の場で思いついた物を実現性などは度外視してとにかく列挙していき、そこから検討を始めるという手法・・・いや、そんな高尚なものでもないか。自分がやっている事は全く意味もなければ建設的ではない。むしろ破壊に繋がる事を考えているのだ・・・馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいだけに余計に途中で止める訳にはいかない。余計な事を考えている場合じゃないな。今更ながら自分自身に呆れかえり、苦笑に似た感情に囚われた。
よくよく考えてみると、今までの事例は3次元でばかり考えてしまっている。ダメだダメだ。4次元、つまり時間軸も必要じゃないか?
時間か。一生の間、毎日5時43分に必ずジャンプするとか、毎日毎日二日先の予定を今日のうちに実行してしまうとか、時計の針を一分毎に巻き戻し、反時計回りに逆回転させ、それを24時間続け、日めくりカレンダーも前日分継ぎ足すとか・・・
どうもピンと来ないな。偶然の要素も取り入れてみる必要があるんじゃないか?意図的に「世界の破滅」のきっかけを作るのも良いが、偶然起きてしまうというのも捨て難い。ただその偶然は天文学的な確率でないといけない。例えばテレビのニュースで街頭インタビューを受けていた見知らぬ人が、直後に自分の家を訪問して来るとか、10年前に使った硬貨がまた自分の財布に戻ってくるとか、地球の裏側に居る人と偶然毎日同じような行動を取っているとか・・・
やっぱりダメだ。何かソレらしくない。いくらなんでも支離滅裂に過ぎる。それじゃ聖書を逆から読むなんてのはどうだ?・・・一昔前のサスペンス映画じゃあるまいし。気取ってどうする?宗教に絡めるのはもっともっぽく聞こえるが、コレ位の事は売れない作家が既に何人も思いついているはずだ。
何だか少しイライラしてきた。答えなんてあるはずはない。これは自分が勝手に始めたゲームなのだから。対戦相手なんていやしない。審判なんていやしない。全ては自分が監督で、プレイヤーで、対戦相手で、監督で、ルールで、観客であるゲームなのだから。のれんに腕押しというか、豆腐に釘を打つというか。無限に続きそうな作業に手応えも何も感じなかった。
1階から母が呼ぶような声がした。今日の妄想もここまでか。何だか釈然としないまま、私は電球が切れて足下が見えない急な階段を一歩ずつ慎重に降りて行った。