なんだかんだで昨日無事退院してきた母の心臓手術の話は、ようやく手術のくだりに入ります。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/joeshow/KA.Blog/20120312.html
やがて18時が近づいた頃、一度手術前の母と面会できる、というので、皆でストレッチャーの上に横たわる母に「大丈夫」と励ましの言葉をかけていました。母は引き続き緊張した面持ちで、未だ事態の展開を上手く把握できていないような表情をしていました。私はまた写メを撮っておきたい誘因に駆られましたが、ここで撮ると不安が現実になりそうで止めました。
ごく短時間の面会が終わると、母は大型の寝台用エレベーターに乗せられて手術室まで運ばれていきました。我々はエレベーターの扉が閉まる最後の瞬間まで、それぞれの不安と表情を携えて、並んで黙って見送りました。
ただこれから長丁場なので、とりあえず晩ご飯を食べに行こう、と非常に現実的に食堂へと向かいました。その食堂のおばちゃんがやたら愛想が無いので、嫌な印象だったのを覚えています。とりあえず文句も言わずに食べ終わると、我々は手術室前の家族用待合室に入って待っていました。
その待合い室には別の手術に立ち会っている家族の方が既に控えていました。そのうちの1組は朝からずっと脳の手術が続いており、夜にまで及んでいるということでした。
我々は待っている間、不安を打ち消すようにずっと話し続けていました。「さっきの先生感じ悪かったよね」「あんな怖いことを言わなくても良いじゃない」などと大ブーイング。
これは我々患者の家族の勝手な言い分です。母を救ってくれる唯一無二の恩人なのに。ただ、当時の我々の正直な気持ちであり、今となっては大いに反省しております。すみません。
1時間経ち、2時間経ち、当初「2〜3時間の予定」と言われていた手術時間の3時間が経過し、時計の針は22時を指していました。「ひょっとしたら何かまずいことでもあったのか?」と不安に思い始めた頃、看護師さんが我々を呼びにやってきました。執刀医から説明がある、とのこと。
カンファレンスルームのようなところに通されて、手術衣のままの執刀医が我々を出迎えてくれました。その先生は当初我々に説明してくれた先生とは別の先生で、まさか我々の大ブーイングが届いたわけではないでしょうが、アレ?と思いました。
どうやら最初に説明してくれた先生は少し若い感じだったので、副執刀医のようなポジションだったのだと思います。そして今回説明をくれるのがリーダー格の主執刀医。それでもまだ40代後半くらいの若い感じで、体格がかなりしっかりしている先生でした。この先生が福井からわざわざ母の手術のために緊急で呼び戻された方のよう。
「まず手術は無事成功しました」と告げられて、我々は一様にホッと胸を撫で下ろしました。しかしそこに続く言葉で、大いに驚かされたのでした。(つづく)