母の心臓手術話の続きです。
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夜の面会時間には姪と甥の二人も駆けつけてきました。昨晩は結局姉が帰宅するまでずっと家族全員で起きていたらしいですが、それぞれ学校や仕事を終えた後に疲れも見せずに金沢までやってきました。
面会時間までもう少し時間があったので、私はここまでの経緯を手短に話ししていました。彼らは落ち着いた様子で聞き入っていました。既に手術も終わって、午前中の面会の段階では問題も無かったので、後は回復を待つばかりの状況です。
それにしても、こうして考えてみると母はつくづく「生かされている」んだなぁと思いました。ここに至るまでには様々な「偶然」が重なって、何とか無事に手術を終えることができたのですから。
まず最初にもしあの日、嫁が埼玉に帰っていなかったら。私は嫁が埼玉に行った時は実家に帰ってご飯を食べたりすることにしています。逆に言えば、嫁が帰らなかったら母は一人で実家で過ごし、そしてその兆候を見逃して、やがて息を引き取っていたかも知れません。
もし地元の病院でカテーテル手術を受けるだけで終わっていたら。地元の病院の医師の説明では当初カテーテルでも対応できるかも知れない、という話でした。
しかし結果的には冠動脈の99%が詰まっていた、ということですから、もしカテーテル手術を行ったとしても、再度血管が詰まるリスクが高かった、ということだそうです。ですから、バイパス手術を選択したことは正解でした。
しかし私はその選択の段階で「たまたま」緊急バイパス手術による合併症の話を詳しく聞かされていなかったので、多少難易度が上がる程度であれば、いっそのことバイパス手術に、と思いました。
それがカテーテル手術に必要な血をサラサラにする薬がバイパス手術では逆効果、その他の合併症リスクが格段に跳ね上がる・・・などという話をその時聞いていたら。バイパス手術という提案は母にしなかったと思います。結果的には、地元の病院の医師の説明不足が、良い方向に我々を導いてくれたのです。結果、母は「生かされている」のです。
私と姉は手術の間「もし、これで祖母ちゃんの手術が失敗したら、(超祖母ちゃんっ娘の)姪に怒られるね」と言っていました。しかし、最終的には我々は賭けに勝つことができました。客観的には失敗率は5%ということで、冷静に考えれば勝率の高い賭けですから心配には及ばないのですが、「万一の最悪の事態」という期待値の高さを考慮すると怖いものです。
私は職業柄行動経済学を勉強しているので「人間は確率が低くても、その結果が大事になればなるほど、その確率を過大評価する」という心理状態を頭では理解していました。宝くじの当たる確率、大地震が起こる確率、テポドンの落ちてくる確率は極めて小さいものなのに、起こった時の衝撃の大きさのあまり、人は宝くじを買い、大地震や災害に過剰に不安がる、というものです。
しかし頭で理解していることと、体感は異なります。何とか理性的に押さえ込もうとしても「もしかして」と悪い想像ばかりしてしまうものです。そうやって心の準備をしておくことで、実際に起こった際の衝撃を和らげようとする防衛本能なのでしょう。実際に起こった時には何の防衛にもならないのですが。
そんなことを話している間に夜の面会時間がやってきました。我々は再度集中治療室に足を踏み入れました。(つづく)