色々な物議を醸し出してきた東京オリンピックがいよいよ始まります。前からも書いていますけど、私は元々無関心派でしたが、株式市場に関わる者としては前向きにかつ好意的に考えていました。感情論で言えばたった3週間足らずのイベントのために無駄なお金を使って施設やインフラを整えたって仕方無いだろうと。一方、勘定論ではお金が回って良いなと。
特に「オリンピックがあるから」という金科玉条があるので、何事もオリンピックまでに完成させなければならない、という目標意識が出来る点は人間的な部分のメリットでした。残念ながら自動運転の車は全然間に合いませんでしたし、水素自動車もアチコチ走っているわけでもなく、ショールーム効果はありませんでしたが
昨年突然パンデミック化したコロナのせいで、オリンピックは偶数年に行われませんでした。21年の今年に「TOKYO2020」で行われるのは単なる名称に過ぎないからですが、アスリートなど関係者の皆さんは大変ですけれど、呑気な外野である我々は「1年後にコロナも気にせずに楽しめるなら、むしろ1年間楽しみが延びただけ」と前向きに捉えることも可能なはずでした。
ところが結局1年経ってもご覧の有り様無観客での開催となり「オリンピックを人類がコロナに打ち勝った証明に」という掛け声も虚しく終わりました。野球のオールスターなんかは観客を入れてやっているのに何故オリンピックはダメなのか。この矛盾を合理的に説得力をもって答えられる人に出会ったことはありません。
賛成派の私ですら、この無観客での開催決定以来「やる意味あんの?」という気持ちですっかり萎えてしまいました。いや、勿論アスリートの皆さんにとっては大いに意味はあるでしょう。しかし記録を出す大会がオリンピックという舞台である必要があるのかどうか。参加選手が限られて追い風参考記録にしか捉えられかねない大会よりも、もっとちゃんとした大会があるような気がします
オリンピックは私の中では特徴的な意味合いがあります。うちの父がトリノオリンピックが開催されていた時に転倒して寝たきりになり、そして前回のリオオリンピックの開催時に亡くなったからです。それぞれ病室のテレビで観ていた思い出があります。
なのでオリンピックの開会式を見る度に「あぁ、そういえばあのオリンピックの時に父ちゃんが入院してたな」と思い出しています。とにかくどうせ行われるわけですから、オリンピックのせいで分断してしまった国民を一つにまとめあげるような、感動的な記録や興奮に包まれるようなオリンピックになってくれれば良いなとは思っています。